「小説 ヴォツェック」
後書き
・後書き
「小説 ヴォツェック」をお読みいただきありがとうございました。
オペラのラストでは、マリーの子供が、両親が死んだことを知らずに遊んでいるところで幕が下ります。私は、このままだと子供の将来も悲観的なものになってしまうのではないかと思いました。そこで、ルルのお爺さんの話として、子供が成人して腕のいい職人になったということにしました。
「ヴォツェック」は、ただでさえ怖いオペラなのですが、演出によっては気持ち悪い、正視できない舞台もあります。ほとんど狂気の世界です。それに加えて、不協和音が鳴り響くし、歌詞を絶叫します。それでも、この怖くて不気味なオペラ「ヴォツェック」は現代でも繰り返し上演されています。
オペラ「ヴォツェック」の舞台は動画サイトに何本も掲載されています。また、「wozzeck trailer」で検索すると予告編動画が見られます。
作曲者アルバン・ベルクには「ルル」というオペラがあります。「ヴォツェック」が貧困、精神の病い、殺人ならば、「ルル」は、「性に奔放な女性」、ということに尽きます。ルル役の女性歌手が下着姿で男を誘惑し、不協和音と悲鳴のような歌がギンギン響くオペラです。現代でも前衛的といわれそうな舞台が、百年間に制作されていたことに驚きます。
小説のプロローグではルルという女性を登場させ、オペラ「ルル」の雰囲気も出してみました。蛇が登場したり、新聞社の編集長と息子という件は「ルル」を引用しました。
「ヴォツェック」の初演を指揮したのは、エーリッヒ・クライバーで、怖い内容にかかわらず大成功だったそうです。エーリッヒ・クライバーの息子、カルロス・クライバーも指揮者になり、こちらはめったに指揮をしないことで知られていました。元はカールという名前でしたが、ナチス政権の時代、南米に渡った際、カルロスと名乗ったそうです。小説でもこのエピソードを使いました。
【補遺】
・オペラは演出が盛んなのに、日本の歌舞伎はほぼ演出が不可能である。このことは以前から考えていた。拙作「番外編・くわしい探偵社」(ナクソス島のアリアドネ)と「小説 ラインの黄金」では私なりに演出を施してみた。今回の「小説 ヴォツェック」では原作に近いと思われる設定にしてある。それは、第一に、オペラを回想という形で挿入したためである。第二に、ヴォツェックを演出して近未来の話にしたりすると、このオペラを観たことがない人にとってはまったく理解不能になると思ったからである。
演出について言うと、歌舞伎には「型」があるが、オペラには「型」に相当するものがない。従って、演出が可能なのである。
・地方の都市に、そこに伝わる「伝統歌舞伎」がある。もっと言えば、「農村歌舞伎」である。東京の、もしくは江戸の歌舞伎を、そのままそっくりに田舎で演じるものだ。また、日本では全国を巡回する小芝居の劇団がある。地方の公民館やあるいは温泉施設などで、人情物の時代劇や歌謡ショーを演じる。それでは、ドイツやイタリアには日本と同様の農村オペラといったもの、あるいは巡回型の小オペラがあるのだろうか。この件についてドイツを例に調べたところ、ドイツはかつては連邦国家であり、その州都ごとに劇場が建てられので、一極集中ではなく、地方の方が劇場が多いということが分かった。
ドイツは国内に多数の劇場があるので、必然的に、独自色を出そうとする傾向がある。そこで他とは異なる演出が盛んにおこなわれるようだ。
・次に、ドイツではオペラは「創造」の場であるということだ。原作と同じ、他の劇場と同じでは創造にはならない。それは問題提起型の演出であり、現代社会に通じる演出である。観客はオペラを観て社会の問題や、自分の感じたことを語り合ったりする。受け身の姿勢ではなくなるのである。
これに対し、歌舞伎は「鑑賞」するものであるといえよう。そもそも、歌舞伎は演劇としてではなく役者を見るものなのである。
日本ではオーケストラのコンサートであれ、オペラであれ、鑑賞することに重点が置かれていると思われる。言ってみれば、西洋の文化を有難く拝聴するということだ。カラヤンが来日したときの雰囲気はその顕著な例だったと聞いている。
このことは、美術についても当てはまるのではないだろうか。日本では昭和の中頃まで「泰西名画展覧会」と銘打った美術展が開かれていて、西洋の絵画は有難く鑑賞するものだったのである。
・オペレッタについてもみてみよう。オペレッタとは軽妙で娯楽性の高いオペラのことを指す。
19世紀末のイギリスに、ギルバート&サリバンの作による「戦艦ピナフォア」「ペンザンスの海賊」「ペイシェンス」などのオペレッタがある。たいてい若い男性が主役で、相手役の女性ヒロインがいて、二人を邪魔する脇役、あるいは仲を取り持つ役がいる。さらにヒロインの仲間の若い女性が十人ほど出てくるのが特徴だ。音楽も少人数のオーケストラである。イベントで上演されたり、学生が演じたりすることがあるようだ。ギルバート&サリバンのオペレッタはクラッシック音楽のカテゴリーには入らないとされているようだ。同じオペレッタでも、「こうもり」や「メリー・ウィドウ」「地獄のオルフェウス」はクラッシックの範疇である。
・オペラ「ヴォツェック」は1925年の作品で、日本での初演は1963年である。
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の初演はもっと遅い。「ニーベルングの指環」四部作は順番に、「ラインの黄金」の日本初演は1969年、「ワルキューレ」が1967年、「ジークフリート」が1983年、「神々の黄昏」は1987年である。初めの三作は単独上演だが、「神々の黄昏」は単独ではなく84~87年にかけて四部作を通して上演された中に含まれる。1987年といえば昭和62年、すなわち年号が平成に変わる二年前である。その時期まで、日本で上演されなかったことに驚きを禁じ得ない。「ニーベルングの指環」の完成は1874年だから、日本で初演されるまでにおよそ百年を要したことになる。
これをミュージカルと比較してみるとなおさら驚く。「マイ・フェア・レディ」はブロードウェイ初演が1956年で日本初演が1963年。「ウェストサイドストーリー」はブロードウェイが57年で日本初演が64年である。
* 私は、ワーグナーの「ニーベルングの指環」の中の「ラインの黄金」も小説化しているが、この作品は、本サイトには掲載していない。
* 「ヴォツェック」の部分的初演は1937年という見方もある。
* 「ニーベルングの指環」の全体初演は1987年、ベルリン・ドイツ・オペラによるとする意見もある。
今後、この辺りをもう少し調べてみたい。
参考文献
小学館 魅惑のオペラ29巻「ヴォツェック」他
「小説 ヴォツェック」をお読みいただきありがとうございました。
オペラのラストでは、マリーの子供が、両親が死んだことを知らずに遊んでいるところで幕が下ります。私は、このままだと子供の将来も悲観的なものになってしまうのではないかと思いました。そこで、ルルのお爺さんの話として、子供が成人して腕のいい職人になったということにしました。
「ヴォツェック」は、ただでさえ怖いオペラなのですが、演出によっては気持ち悪い、正視できない舞台もあります。ほとんど狂気の世界です。それに加えて、不協和音が鳴り響くし、歌詞を絶叫します。それでも、この怖くて不気味なオペラ「ヴォツェック」は現代でも繰り返し上演されています。
オペラ「ヴォツェック」の舞台は動画サイトに何本も掲載されています。また、「wozzeck trailer」で検索すると予告編動画が見られます。
作曲者アルバン・ベルクには「ルル」というオペラがあります。「ヴォツェック」が貧困、精神の病い、殺人ならば、「ルル」は、「性に奔放な女性」、ということに尽きます。ルル役の女性歌手が下着姿で男を誘惑し、不協和音と悲鳴のような歌がギンギン響くオペラです。現代でも前衛的といわれそうな舞台が、百年間に制作されていたことに驚きます。
小説のプロローグではルルという女性を登場させ、オペラ「ルル」の雰囲気も出してみました。蛇が登場したり、新聞社の編集長と息子という件は「ルル」を引用しました。
「ヴォツェック」の初演を指揮したのは、エーリッヒ・クライバーで、怖い内容にかかわらず大成功だったそうです。エーリッヒ・クライバーの息子、カルロス・クライバーも指揮者になり、こちらはめったに指揮をしないことで知られていました。元はカールという名前でしたが、ナチス政権の時代、南米に渡った際、カルロスと名乗ったそうです。小説でもこのエピソードを使いました。
【補遺】
・オペラは演出が盛んなのに、日本の歌舞伎はほぼ演出が不可能である。このことは以前から考えていた。拙作「番外編・くわしい探偵社」(ナクソス島のアリアドネ)と「小説 ラインの黄金」では私なりに演出を施してみた。今回の「小説 ヴォツェック」では原作に近いと思われる設定にしてある。それは、第一に、オペラを回想という形で挿入したためである。第二に、ヴォツェックを演出して近未来の話にしたりすると、このオペラを観たことがない人にとってはまったく理解不能になると思ったからである。
演出について言うと、歌舞伎には「型」があるが、オペラには「型」に相当するものがない。従って、演出が可能なのである。
・地方の都市に、そこに伝わる「伝統歌舞伎」がある。もっと言えば、「農村歌舞伎」である。東京の、もしくは江戸の歌舞伎を、そのままそっくりに田舎で演じるものだ。また、日本では全国を巡回する小芝居の劇団がある。地方の公民館やあるいは温泉施設などで、人情物の時代劇や歌謡ショーを演じる。それでは、ドイツやイタリアには日本と同様の農村オペラといったもの、あるいは巡回型の小オペラがあるのだろうか。この件についてドイツを例に調べたところ、ドイツはかつては連邦国家であり、その州都ごとに劇場が建てられので、一極集中ではなく、地方の方が劇場が多いということが分かった。
ドイツは国内に多数の劇場があるので、必然的に、独自色を出そうとする傾向がある。そこで他とは異なる演出が盛んにおこなわれるようだ。
・次に、ドイツではオペラは「創造」の場であるということだ。原作と同じ、他の劇場と同じでは創造にはならない。それは問題提起型の演出であり、現代社会に通じる演出である。観客はオペラを観て社会の問題や、自分の感じたことを語り合ったりする。受け身の姿勢ではなくなるのである。
これに対し、歌舞伎は「鑑賞」するものであるといえよう。そもそも、歌舞伎は演劇としてではなく役者を見るものなのである。
日本ではオーケストラのコンサートであれ、オペラであれ、鑑賞することに重点が置かれていると思われる。言ってみれば、西洋の文化を有難く拝聴するということだ。カラヤンが来日したときの雰囲気はその顕著な例だったと聞いている。
このことは、美術についても当てはまるのではないだろうか。日本では昭和の中頃まで「泰西名画展覧会」と銘打った美術展が開かれていて、西洋の絵画は有難く鑑賞するものだったのである。
・オペレッタについてもみてみよう。オペレッタとは軽妙で娯楽性の高いオペラのことを指す。
19世紀末のイギリスに、ギルバート&サリバンの作による「戦艦ピナフォア」「ペンザンスの海賊」「ペイシェンス」などのオペレッタがある。たいてい若い男性が主役で、相手役の女性ヒロインがいて、二人を邪魔する脇役、あるいは仲を取り持つ役がいる。さらにヒロインの仲間の若い女性が十人ほど出てくるのが特徴だ。音楽も少人数のオーケストラである。イベントで上演されたり、学生が演じたりすることがあるようだ。ギルバート&サリバンのオペレッタはクラッシック音楽のカテゴリーには入らないとされているようだ。同じオペレッタでも、「こうもり」や「メリー・ウィドウ」「地獄のオルフェウス」はクラッシックの範疇である。
・オペラ「ヴォツェック」は1925年の作品で、日本での初演は1963年である。
ワーグナーの「ニーベルングの指環」の初演はもっと遅い。「ニーベルングの指環」四部作は順番に、「ラインの黄金」の日本初演は1969年、「ワルキューレ」が1967年、「ジークフリート」が1983年、「神々の黄昏」は1987年である。初めの三作は単独上演だが、「神々の黄昏」は単独ではなく84~87年にかけて四部作を通して上演された中に含まれる。1987年といえば昭和62年、すなわち年号が平成に変わる二年前である。その時期まで、日本で上演されなかったことに驚きを禁じ得ない。「ニーベルングの指環」の完成は1874年だから、日本で初演されるまでにおよそ百年を要したことになる。
これをミュージカルと比較してみるとなおさら驚く。「マイ・フェア・レディ」はブロードウェイ初演が1956年で日本初演が1963年。「ウェストサイドストーリー」はブロードウェイが57年で日本初演が64年である。
* 私は、ワーグナーの「ニーベルングの指環」の中の「ラインの黄金」も小説化しているが、この作品は、本サイトには掲載していない。
* 「ヴォツェック」の部分的初演は1937年という見方もある。
* 「ニーベルングの指環」の全体初演は1987年、ベルリン・ドイツ・オペラによるとする意見もある。
今後、この辺りをもう少し調べてみたい。
参考文献
小学館 魅惑のオペラ29巻「ヴォツェック」他