聖人君子のお兄ちゃんが、チャラ男になったなんて聞いてません!
「橋本ちゃん?」
久々に聞く声。
背後から声をかけてきた主の方を、菜々はドキドキしながら振り返った。
目を向けた先では、廊下と調理室を隔てる窓から、矢嶋が顔を覗かせていた。
「うまそーな匂い!何作ってるの?」
「矢嶋先輩…。」
久しぶりに会えた嬉しさとは裏腹に、思わず泣きそうになる。
――メッセージ読んでくれなかったのに、なんで平気で声かけてくるの?
――そんな、会えて嬉しいみたいな顔、しないで欲しい。
複雑な気持ちで矢嶋を見つめながら、菜々はなんとか声を発した。
「…サッカー部のメンバー向けに、バレンタインチョコを作ってました。」
少し、声が震えていた。
そんな菜々の様子に気付いたのか、矢嶋は少し淋しげな表情になり、弱々しく笑った。
「マジで?いいなぁ、羨ましー。俺にはないのー?」
冗談っぽくそう言う矢嶋に、神崎が気を利かせた。
「あ、どうぞどうぞ!たくさんあるので食べてみてください〜!ほら、橋本ちゃん。お裾分けしようよ。」
神崎が近くにあった平皿に、菜々の手元にあるトリュフチョコを数個乗せて渡してきた。
ここまでされて、渡さないわけにはいかない。