絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
「夜分にすみません」

 マティアスは低い声でそう言って、それから立ち尽くしたままのフランチェスカに手を伸ばした。大きな手がフランチェスカの手をそうっと取り、そのまま握りしめる。

「まっ、マティアス様?」

 いきなり手を握られて、カーッと頬が熱くなる。

 いったいどういうことかと彼を見上げると、
「あれから考えていました」
 マティアスの低音の声は、どこか熱を帯びてかすれていた。

「な……なにをですか?」

 もしかしたら本格的に愛想をつかされたのではないか。フランチェスカはかすかに震え、怯えながら問いかけた。

「帰りの列車の中で『感情にまかせた発言でした。ごめんなさい』とあなたが謝ってくれたことです」
「っ……」

 改めて己の不甲斐なさと未熟さが思い出されて、頬が赤くなる。恥ずかしくなってうつむくと、マティアスはさらに言葉をつづけた。

「俺は『怒っていない』と伝えたけれど、それだけでは足らなかったと思って……それでここに来たんです」
「え……?」

 不安のまま顔をあげると、こちらを優しく見下ろすマティアスと視線がぶつかった。

「あなたが本気でシドニアにいたいと思ってくれていること……嬉しかったと伝えていなかった」

 マティアスはそうっと右手を持ち上げ、フランチェスカの頬に手のひらをのせた。

「ありがとう、フランチェスカ。俺の妻でいたいと思ってくれて……嬉しい」

 マティアスの緑の目が甘く輝き始める。彼の指がそうっと頬を撫でてそこから全身に淡いしびれが走った。
 腰に回ったマティアスの手が、ゆっくりとフランチェスカを引きよせる。

(嬉しかったって……本当に?)

 フランチェスカはマティアスの胸に両手を置き、自分の体を支えながら顔をあげる。
 長身のマティアスが身を折るようにして、顔を近づける。精悍な頬を傾け、覆いかぶさるマティアスの気配に息が止まりそうになる。

「あ……」

 フランチェスカが軽く目を閉じると同時に、唇に熱いものが触れた。
 ほんの一瞬の、意識しないとすぐに消えてしまいそうな感触だったけれど。
 それは間違いなく、唇へのキスだった。

「――」

 それからマティアスは無言で、フランチェスカの体に両腕を巻き付ける。そのままぎゅうっと抱きしめられて、踵が持ち上がった。その瞬間、全身が信じられないくらいの多幸感で包まれて眩暈がした。

「フランチェスカ」
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