絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
 彼に名前を呼ばれるだけで、胸がはずむ。足元がふわふわして、まるで雲の上に立っているような心地だ。
 瞼の裏では金色の光がチカチカと瞬いていた。
 頬が熱い。耳の後ろでドクドクと血が流れる音が響く。このままだと心臓が破裂してしまうかもしれない。そんなことを思いながら、フランチェスカは激しい陶酔の中、胸をときめかせる。

(好き……マティアス様、大好き……)

 それにしてもマティアスからキスしてくれるなんて、これはいったいどういうことだろう。

「あの、マ、マティアス様……」

 これは千載一遇のチャンスなのかもしれない。
 もしかしたら本当に妻にしてもらえるかもしれない。
 フランチェスカは震えながらも、勇気を振り絞ってマティアスの背中に腕を回そうとしたのだが――。
 軽やかに両肩をつかまれ、体が引きはがされてしまった。

 少し唐突に感じたフランチェスカが目を丸くした次の瞬間、
「おやすみ、フランチェスカ」
 マティアスは少し早口でそう言って、くるりと踵を返しそのまま部屋を出て行く。

 彼が今どんな顔をしているか見たかったのに、確認する暇もなかった。

「お……おやすみなさい」

 マティアスの背中を見送ったフランチェスカは、茫然としつつも唇に指をのせる。
 そこにはまだ確実にキスの感触が残っている。

(これって、おやすみのキス……なのかしら。それとも……)

 頬がぴりぴりする。鏡でわざわざ確認しなくてもわかる。きっとフランチェスカの顔は、野苺のように真っ赤に染まっているはずだ。

「はぁ……」

 緊張で冷たくなった両手をぎゅっと握りしめ、それから自分の頬を挟み込む。ひんやりした感触は気持ちよかったが、胸の真ん中でごうごうと燃えるマティアスへの思いは大きくなる一方で、我ながら少し怖くなる。

(マティアス様……もしかしたら少しずつ、私のことを受け入れてくださっているのかも)

 彼が押しかけ妻の自分に対して慎重な判断をしているのは、最初からわかっていた。
 グイグイと距離を縮めようと近づくと後ずさるのに、必死に手を伸ばすとその手は振り払わない。
 しかたないな、という顔でフランチェスカを受け止めてくれる。
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