絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
 彼がどんな気持ちで自分を抱きしめたのか、想像でしかないが。
 おそらく自ら身を引くと言ったフランチェスカに『感謝』してくれているのだろう。
 だったらよかった。

 子供っぽい女の見栄だと分かっているが、フランチェスカはマティアスにとって少しでも『いい女』でいたい。
 もう泣いたりわめいたりしてマティアスを困らせたくないし、がっかりされたくない。
 立ち去るときもスマートに、せめて美しい思い出として残るように彼の前から消えたかった。

 目にじんわりと涙が浮かんだが、泣いているところを悟られるわけにはいかないので、そうっとマティアスの胸元に顔を押し付け涙をぬぐう。

(あと少し……せめて『シドニア花祭り』まではあなたの妻でいさせてくださいね。お祭りが終わったら、身を引きますから)

 フランチェスカは大きく深呼吸すると、顔をあげて背伸びをし、頬に触れるだけのキスをする。

「おやすみなさい、マティアス様。また明日」
「――」

 フランチェスカのおやすみの挨拶を聞いても、しばらくマティアスは凍り付いたような表情のまま立ち尽くしていたが、

「……あぁ、おやすみ、フランチェスカ……」

 赤い、鳥の羽根のように長いまつ毛を伏せるとくるりと踵を返し、部屋を出ていった。

「――お嬢様」

 完全に夫の姿が見えなくなってから、それまで部屋のすみで黙って見守っていたアンナが、気遣いながらフランチェスカに声をかけてきた。

「本当にいいんですか? 旦那様はお嬢様のことを、妻として迎える気になられていたんじゃないんですか?」
「――そうね」

 フランチェスカは大きく深呼吸して、唇を引き結ぶ。

「でも、私……本当に強欲で嫌になるのだけれど、きっと我慢できなくなると思うの。だから……まだ引き返せるうちに引き返したいの」

 自分は公的に認められた妻なのだから、愛人には目をつぶり、妻として堂々と愛されればいい。
 それが賢いやり方だとわかっているが、フランチェスカは一度思いつめたらとことんやりぬく自分の性格をいやというほどわかっていた。
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