甘い罠、秘密にキス
ショッピングモールは人で溢れているけれど、殆どの客はエスカレーターやエレベーターを使うため、階段は滅多に人が通らない。
そんな場所で足を止めた桜佑を怪訝に思いつつも、頭を冷やすための行動だと悟った私は、黙って彼を見守ることにした。
「なぁ伊織」
繋いでいた手を離した桜佑は、踊り場の壁に背を預けて私を見下ろす。その正面に立って首を傾げると、突如腰に手を回され、そのまま抱き寄せられた。
「罰ゲーム決めた」
「え?」
何を言い出すのかと思いきや、まさかの罰ゲーム。機嫌が悪いと思っていたのに、桜佑の口元はゆるりと弧を描いている。
「今ここで伊織からキスして」
「無理です」
え、何この人。何を考えているの。今のこの流れから何をどう頑張ったらその結果に辿り着いたの。
「お前に断る権利なんかないと思うけど」
「ちょっと冷静になろ?ていうか、まず歳を考えてよ。こんな公共の場で…」
「無理、家まで我慢出来そうにない」
「それを我慢するのが大人でしょ?」
食い下がる桜佑に、ぴしゃりと言い切る。
「とりあえず離れようよ」
私の腰に回っている手を振り払い距離を取ろうとすれば、すかさず力を込められ制される。腕の中にすっぽりと収められ「するまで離さねえぞ」と脅してくる男に恐怖を覚えた。
「人が来たらどうすんの」
ヒヤヒヤしてしながら桜佑の胸を強く押して抵抗するも、案の定ビクともしない。
しかも桜佑は焦るどころか、この状況を楽しんでいるかのように「お前が早くすれば済む話だろ」と口角を上げる。
「わ、分かった、分かったから」
渋々首を縦に振ると、桜佑は満足気に微笑んだ。
こうなったら仕方がない。さすがにこのまま抱き合っているわけにもいかないから、とりあえずここは罰ゲームを受け入れて、触れるか触れないかくらいのかるーいキスで乗り切ろう。
「そんなにくっついてたら出来ないでしょ」
「ああ、そうか」
少しだけ力を緩めた桜佑は、早くと急かすように熱を孕んだ目で見つめてくる。
「…桜佑、背が高くて届かないかも」
「ん」
少し腰を折った桜佑と、視線が交わる。店内は賑やかなはずなのに、目が合った瞬間まるで二人きりの世界に入り込んだかのように何も聞こえなくなった。