甘い罠、秘密にキス

「煮区厚さん、その噂って既に結構広まってたりします…?」

「そりゃそうよ。だってあのスピーカー男と呼ばれる大沢くんよ?会社中の人が知ってると思うわ」

「会社中…」

「会社と言わず、既にクライアントにも伝わってたりして。うふ、人気者って大変よね」

「あは、あははは…」


なんかもう、ショックを通り越して笑うしかない。

あの日、あの飲み会に大沢くんがいるって知っていたのに、そこまで頭が回らず桜佑を呼び出してしまった自分を酷く恨んだ。

まぁでも、相手が私ってバレたわけじゃないし。外で桜佑と会う時だけ気をつければ、特に何も問題ない…よね?

とりあえずコーヒー飲んで落ち着こ。煮区厚さんはああ言ったけど、もしかしたら大沢くんがひとりで盛り上がってるだけかもしれないし。


「お、日向。いいとこにいた」


今日も気だるそうにオフィスに入ってきた伊丹マネージャーが、桜佑の前で足を止めた。その様子を、つい横目で追ってしまう。


「今日の会議のことなんだけど…」


ふたりが会話しているところ数秒見つめた後、ハッと我に返りすぐに視線を逸らした。
危ない、また煮区厚さんに「日向リーダーのこと見てたでしょ」って突っ込まれるところだった。

コーヒーの入ったコップを煽りながら、一旦“噂話”のことは忘れようと気持ちを落ち着かせる。けれど、無意識に彼らの会話に聞き耳を立ててしまう自分がいた。


「頼んだぞ日向」
「分かりました」
「てか噂で聞いたけど、お前彼女いんの」
「はい、いますよ」

「ゔっ…!」


桜佑が躊躇なく頷くから、危うくコーヒーを吹き出すところだった。

はい、いますよじゃないでしょ。大沢くんがひとりで盛り上がっていると思いたかったのに、桜佑のせいで早くも打ち砕かれたんですけど?

それどころか「可愛い子?」と尋ねる伊丹マネージャーに「めちゃくちゃ可愛いです」と惚気ける始末。

せめてもう少し濁してほしかった。桜佑が肯定してしまったら、噂が噂じゃなくなるじゃないか。


(バカ桜佑…!)


ティッシュで口を拭いていると、ふと桜佑と視線が重なった。思わずギロリと睨むと、返ってきたのはニヒルな笑顔だった。


今の、絶対確信犯だ。

< 144 / 309 >

この作品をシェア

pagetop