甘い罠、秘密にキス
「悪い、手が滑った」
一度咳払いをした桜佑は「もしかして幻聴?」と呟く。その眉間には皺が寄っていて、思わず息を呑んだ。
さすがに我儘すぎただろうか。ただでさえ仕事で疲れているのに料理までさせて、おまけに着替えもないのに泊まれなんて普通に考えて失礼だもんね。
「ごめん。ちょっと調子に乗りすぎた」
焼き豆腐を真っ二つにしたまま動かなくなった桜佑に恐る恐る声をかけると、彼は眉間に皺を寄せたままゆっくりとこちらに視線を移し「まさか現実?」と呟いた。
さっきからぶつぶつと独り言ばかり言っているけれど、大丈夫だろうか。
ていうか、このまな板は無事なのかな。
「お前のそれはわざとなのか?それとも無自覚?」
「え、」
「いくらでも泊まってやるから、さっさと婚姻届提出させろよこのバカ女」
なぜか半ギレの桜佑は、焼き豆腐を素早く切って鍋に入れると、そのまま蓋をして火を止めた。これで完成?と尋ねようとしたけれど、桜佑はそのまま私の手を引いてキッチンを後にすると、ベッドの上に放り投げるように私を押し倒した。
「あ、あれ?ご飯は…」
「あんな誘い方されたら、さすがに耐えらんねえわ」
私を組み敷いた桜佑が、熱を孕んだ瞳で見下ろしてくる。その目はどう見ても冗談を言っているように取れなくて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「イヤ?」
「……」
「伊織が嫌ならしない」
乱暴なようで、その声は優しい。私を愛しそうに見つめるその目が、とても好きだ。
「どうする?」
「…んっ、」
徐に伸びてきた手が、私の前髪を掻き分けた。その指先が頬に触れた瞬間、思わず声が漏れた。
そんなつもりはなかったのに、身体がどんどん熱を帯びていく。心が桜佑を求めてる。
「桜佑」
私の上に四つん這いになってる桜佑の背中に手を伸ばした。そのままぎこちなく引き寄せると、上から抱き締められる形になった。
“別に言葉とかいらねえだろ。こうして抱きついてくれたらいい”
──私の気持ちは、伝わっただろうか。