甘い罠、秘密にキス
「…桜佑だけ呑気で、なんか狡い」
私は今週ずっとそのことでモヤモヤしていたのに、当の本人は井上さんの気持ちに気付きもせず、いつも通りの生活を送っていたのかと思うとなんだか悔しい。
もしかしてこの男、学生時代にモテ過ぎて言い寄られることに慣れているとか?それとも無自覚天然タラシ?どちらにしろ、タチが悪いぞ。
「なんでだよ。あ、もしかして俺があの女に心変わりするかもって、内心ヒヤヒヤしてたとか?だからさっき、井上さんみたいな女に言い寄られたらどうするか聞いてきたんだな。やっと理解した」
「べ、別にそんなんじゃ…」
「だから急に甘えて、俺の気を引こうとしたんだろ」
可愛いなお前。と、嬉しそうに目尻を下げながら力いっぱい抱き締めてくる桜佑を「違うってば」と引き離そうとする。…だけど、若干合っているからやっぱり悔しい。
「桜佑は可愛くおねだりされたり、胸を押し当てられたり、それはそれは楽しい毎日だったかもしれないけど」
「おい、なんか聞き捨てならんぞ」
「私はそんなに穏やかに過ごせなかったんだよ。井上さんに“もう桜佑と会わないで”って言われたし」
「…は?」
桜佑の声が、少し低くなった。それは昔の桜佑みたいな、抑揚のない声だった。
あの頃を思い出して、一瞬ゾクッと背筋が震えた。恐る恐る桜佑の目を見ると、氷のように冷たくて思わず息を呑んだ。
勢いでチクってしまったけど、言わない方がよかっただろうか。だって明らかにキレてるもん。まぁ、今更後悔しても遅いんだけど。
「…認めないって、怒られた。私は桜佑の隣に、相応しくないみたい」
「あ?まじで意味わかんねえな。あいつにそんなこと言う権利あんのかよ。そんな言葉いちいち気にしなくていいからな」
「うん、分かってる…でもそれくらい桜佑が好きってことなんだよね…」
もちろん彼女に従うつもりはないけれど、たまに彼女の真っ直ぐなところをカッコイイと思ってしまう。好きな人のために行動するって、きっと勇気がいることだと思うから。