甘い罠、秘密にキス
「うそ…」
なにやらボソッと呟いた井上さんは、突然そわそわし始める。前回のように睨まれるどころか、視線を泳がせている。
何もかもがまるで別人のようで、一瞬声を掛ける相手を間違えたのかと思った。だけどこのサイズ感にこの顔は、どう見たって井上さんだ。
「…井上さん?」
明らかに動揺している井上さんに違和感を覚え、思わず怪訝な目を向けた時だった。
突如両手を口元に当て、眉を下げながら潤んだ瞳で私を見上げた彼女が「…どうしようっ!」とふらつきながら絞り出したような声を上げるから、思わず肩が揺れた。
もしかしてこの人、このままぶっ倒れるのでは?と心配になり、無意識に彼女を支えようとした、その時。
「イオ様に呼び出されちゃった!」
───イオ様……?
キラキラと瞳を輝かせながら意味不明な言葉を放った彼女に、差し出そうとしていた手を引っ込めた。
この人、今なんて言った…?
「あ、すみません!イオ…佐倉さん、わたくしめに大事な話とは、一体どんな内容でしょう!?」
「待って、どこから突っ込めばいいの」
なんだこれは。思ってた反応と全然違うんだけど、一体何が起きているの。
殴られる気持ちで声を掛けたせいか、むしろ歓迎されている雰囲気に拍子抜けしてしまう。
まず、イオ様ってなんだ。その恋する乙女みたいな表情を、なぜ私に向けている。
「あ、急にすみません。休憩時間に佐倉さんから声を掛けてもらえるなんて思っていなかったので、つい舞い上がってしまいました」
「…そ、うなんですね」
「今日もお美しいですね…推しをこの距離で眺めることが出来て幸せ…」
「推し…」
「そうだ、先日は取り乱してしまい申し訳ございませんでした。私、佐倉さんファンクラブメンバーのひとりでして、あの日は佐倉さんに男が出来たと知って、いてもたってもいられなくて…」
情報過多。
一旦ひとりになって落ち着きたいです。