甘い罠、秘密にキス

「そういえば日向リーダーって、元は本社の人なんですよね。既にうちのメンバーに溶け込んでるから、すっかり忘れてました」

「…うん、私も」


私もすっかり忘れていた。
桜佑がこっちに来てから、あまりにも濃厚な時間を過ごしているからか、ずっと一緒にいたような気分だ。
むしろ再会する前の生活が思い出せない。

もし田村リーダーが休職しなければ、一緒に働くどころか、婚約することさえなかったのかと思うと、不思議な気持ちになる。


「やっぱり本社って厳しいんですかね。日向リーダーは向こうでもエリートだったんだろうなあ…」


こうして見ると、なんだか桜佑が遠い存在に感じる。手の届かない場所にいるような感覚だ。

桜佑のことだから、きっと向こうでも優秀で、頼りにされる存在だったんだろうな。


「あ、佐倉さん、私ちょっと電話してきてもいいですか」

「うん、いいよ」

「すみません、またあとで」


ぺこっと頭を下げ、パタパタと会場の出口へ向かう川瀬さんの背中を見送ったあと、桜佑を一瞥して、小さな溜息を吐いた。

結局このまま、桜佑とは言葉を交わすことなく、解散になるんだろうな。

仕事だから仕方ない。むしろ、一緒にいれるなんて思っていなかった。

だけど、やっぱり少し寂しい。今なら井上さんの気持ちが分かる。私もこっそり桜佑の写真を撮っておけばよかったかも。


「佐倉ちゃん」


再び溜息を吐いたあと、片付けに向かおうとした私に声を掛けてきたのは、聞き慣れた穏やかな声の持ち主だった。


「…藤さん、お疲れ様です」


いつもと変わらず、柔らかい笑みを浮かべた藤さんは、片付けの最中なのか、両手いっぱいに装飾品を抱えている。


「重そうですね。手伝いますよ」

「はは、相変わらず男前だなぁ。これくらい大丈夫だって」

「でも…」

「それより、今日の佐倉ちゃんはいつもと雰囲気違うね。すごく似合ってる」

「…ありがとうございます」

「ずっと声掛けようと思ってたけど、あまりにも綺麗だから緊張して…気付いたらこの時間。なんとか話せて良かったよ」


藤さんは優しい。付き合っている時…いや、付き合う前からこういう言葉をくれる人だった。だからこの言葉に、深い意味はないってことは分かってる。

それでも、躊躇なく放たれるストレートな言葉に、思わず照れてしまう。

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