甘い罠、秘密にキス
「川瀬さんどうしよう。私人生で初めて男の人にナンパされた」
「え、初めてですか?!」
「うん、今まで女の人にしかされたことなかったから」
今朝駅であった出来事を、会社に着いてすぐに川瀬さんに報告すると、彼女は「それはそれで凄いですね」と目を丸くした。
「遂に世界がイオ…佐倉さんの魅力に気付いてしまいましたね」
突如後ろからぬるっと現れた井上さんが、さり気なく川瀬さんの腕に自分の腕を絡めながら私の顔を覗き込んでくる。
「あ、突然失礼しました。佐倉さん、美玲ちゃん。おはようございます」
「おはよう」
「マリちゃんおはよー」
川瀬さんと井上さんは元々同期だからか、最近一気に距離が縮まったらしく、よく連絡を取り合ったりしているらしい。いつの間にかお互い名前呼びになっていて、井上さんの名前が“マリちゃん”ということを初めて知った。
「ナンパはどのような感じでした?まさかボディタッチはされていないですよね?」
前のめりになって尋ねてくる井上さんの顔は、もはや本気だった。悪い奴は排除してやる、という気持ちが、声にしなくても伝わってくる。
「ううん、ただ連絡先を聞かれただけで…」
「それで、お返事は?」
今度は興味津々に質問してきた川瀬さんに「勿論お断りしたよ」と首を横に振る。「そっかぁ」と呟いた彼女は、まだ私に婚約者がいることを知らない。
でも川瀬さんになら、そろそろ話してもいいかな。私のことを誰よりも慕ってくれているし、私の方が先輩でありながらもいつもお世話になっているし。
それに昨日、桜佑と身体を重ねたあとふたりで婚姻届を記入したし、まず別れることはないだろうし…。
「…あのね、川瀬さん」
「はい」
「実は川瀬さんに報告したいことがあって」
おずおずと口を開くと、川瀬さんはキョトンとしながら「報告?」と呟く。
「まだ皆には秘密なんだけど、私…」
「永遠の愛を誓った婚約者がいます」
小声で喋っていた私の台詞を遮るように、後ろから聞こえてきたのは聞き慣れた低い声。
周りの人に余裕で聞こえるボリュームに、びっくりして思わず肩が跳ねた。
弾かれたように振り返ると、そこにいたのはやはりあの男。
「おう…っ、日向リーダー」
「その話、俺も混ぜて?」と、桜佑がにやりと口角を上げた。