甘い罠、秘密にキス
───って、呑気にキュンキュンしている場合ではない。
最悪だ。桜佑のせいで就業前のオフィスが一気にお祭り騒ぎだ。
少し離れたところで、大沢くんが「マジすかー!」と叫んでいるのが見える。この男の耳に入ってしまったということは、この噂は社内だけでなくクライアントにも一瞬で広まることだろう。
「ちょっとどうしてくれんの…私は川瀬さんだけに報告するつもりだったのに、あんたのせいで皆にバレちゃったじゃない…」
「安心しろ、さっき伊丹マネージャーには報告しておいたから」
「だからそう問題じゃなくて…」
いや確かにそこも重要だけど、今はそこの心配をしているわけじゃないんだよ。
「どうせいつか言わなきゃダメなんだから、早い方がいいだろ」
「まぁそれは確かにそうなのかもしれないけど…」
でもそういうのは心の準備がいるじゃない?私の理想としては、もっとこう丁寧に、慎重に…。
あぁ、もうダメだ。結局私は、一生この男に振り回されるのだろう。
「凄い!嬉しいです!お二人の空気感が普通じゃないのは薄々感じてましたけど、まさか婚約していたなんて!」
「え、普通じゃなかった?」
「あ、はい。日向リーダーがこちらに異動してきた時から、何となく」
川瀬さんって、前世エスパーなのかな。なんでそんなに鋭いの。
「佐倉さんと日向リーダー、とってもお似合いですね。しかも幼馴染だなんて素敵過ぎます。朝から幸せな報告が聞けて嬉しいです」
「私はまだ認めてませんからね」
小さく拍手をする川瀬さんの横に立った井上さんがすかさず口を開くと、小さな身長でありながら、長身の桜佑に鋭い視線を向けた。
「とか言って、いま俺達の動画撮ってましたよね」
「そりゃあイオ様の一生に一度の婚約会見ですから、ムービーでキッチリおさめておかないと…って、何言わせるんですか!とにかく、佐倉さんを泣かせるようなことがあったら…」
「大丈夫、俺が必ず幸せにするから」
「はぎゃーー!」
これまた歯の浮くような台詞を桜佑がさらりと放つと、井上さんは謎の声を上げながらその場に崩れ落ちた。
「マリちゃん大丈夫?」と川瀬さんに支えられる井上さんを見て、思わず笑みが零れた。
「あらあら、美の大渋滞ね」
そんな私達を離れたところから見守っていた煮区厚さんは、うふっと笑いながら「眼福眼福」と小さく呟いた。