甘い罠、秘密にキス
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午後7時50分。静かなオフィスに、忍び足で侵入する。
「────桜佑」
残業中の桜佑がオフィスでひとりになったのを確認した私は、その背中に小さく声を掛けた。
「え、お前なんでいんの」
振り返った桜佑が、目を丸くして私を捉える。
一度定時に会社を出た私が再び現れたことに、驚きを隠せないみたいだ。その間抜けな顔に、思わず吹き出しそうになる。
「お前のことだから忘れ物でもしたんだろ」
「違うし。これをあんたに渡そうと思って」
「え?」
私だって本当はそのまま帰るつもりだった。だけど今朝のあの出来事が頭から離れなくて、気付けば駅の中にあるスタバでコーヒーをふたつテイクアウトしていた。
そのまま会社まで持ってきたコーヒーをひとつ差し出すと、桜佑は戸惑いつつも「ありがと」と素直に受け取る。
「急にどうした。毒は入ってねえよな」
「んなわけないでしょ。一応、今日のお礼だから」
尻すぼみになりながらも何とか伝えたけれど、桜佑はいまいちピンときていないみたいで「お礼?」と首を傾げる。
「あの時、課長から庇ってくれたでしょ」
「…ああ、あれか」
「あんたのお陰でちょっとスッキリした。ありがとね」
面と向かってお礼を言うのが恥ずかしくて、もじもじと言葉を紡いでしまう。けれど桜佑が「あいつの顔やばかったな」と悪戯っぽく笑うから、釣られて口元が緩んでしまった。