甘い罠、秘密にキス

スマホをバッグから取り出し、微かに震える手で画面をタップする。

着信履歴から桜佑の名前を探したのは本当に無意識。けれど、そのまま通話ボタンを押そうとしたところでハッと我に返った。


電話なんてしてどうすんの。一体何を言うつもりなんだ。
会いたいなんて口が裂けても言えない。そもそも桜佑はまだ部下達と飲んでいるから、邪魔するわけにもいかない。

だけど、このままずっとここにもいられないし、でも他に助けを呼べる人もいない。自力でどうにかしたいけど、まだ当分動ける自信もない。


何が正解が分からず、画面に映る“日向 桜佑”の文字をしばらくじっと見つめていた。

出来ることなら桜佑の声が聞きたい。だけど、どうしても躊躇してしまう。


助けて、なんて言ったら、そのゴリラみたいな力でなんとかしろって怒られるだろうか。
こないだも“それだけ力が強ければ襲われても大丈夫だろうけど”って言ってたし。

寧ろそれくらいの言葉を掛けられた方が吹っ切れるのかな。…いや、今もし桜佑に突き放されたら、それこそ立ち上がれなくなるかも。


「…やっぱ無理」


鼻をすすりながら、膝に顔を埋める。せめて声だけでも聞けたらひとりで家に帰れる気がするけど、通話ボタンに指が触れる直前で手が止まる。

やっぱここでしばらく時間を潰して、落ち着いたら帰ろうかな──そう思った直後、ふとあの時の言葉を思い出した。


“なんかあったら俺のこと呼べよ。他のやつ呼んだら即婚姻届提出するからな”


ほぼ脅しの、桜佑らしい言葉。あの時は適当に聞き流してしまったけど、何かあったらって、もしかしてこういう時のこと?

昔の桜佑が言った言葉なら、全て冗談で受け取っていたかもしれない。けれど最近の桜佑を見ていると、その言葉を信じていいのかなと思ってしまう。

──電話、してみようかな。


(3コールで出なかったら諦めよう…)


数回深呼吸を繰り返してから再びスマホの画面と向き合う。

そして勇気を振り絞り通話ボタンをタップすると、そのままゆっくりと受話口を耳に近付けた。

無機質な呼び出し音が鼓膜を揺らす。あと少しで、3コール目だ。


『──はい』


機械音が途切れ、代わりにあの低い声が耳に届いた。その瞬間一気に色々な感情が込み上げてきて、再び視界が滲んだ。

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