甘い罠、秘密にキス
とりあえず帰るぞ。立てるか?──桜佑の言葉に頷き、その手を取ったのはいいけれど、てっきり家まで送り届けられるのかと思いきや、手を引かれるまま乗り込んだのはいつもと違う電車だった。
「…これはどこに向かってるの」
「俺ん家」
「……」
何となく想像はついていたけれど、桜佑が言葉にした瞬間、一気に現実が押し寄せてきて思わず息を呑んだ。
こんな時間から桜佑の部屋に行くってことは、恐らくお泊まりは決定している。
心の準備も出来てなければ、着替えも何も用意していないのに…。
だけど助けてもらった手前、自分の部屋に帰りたいですなんてわがままは言えなくて、静かに電車に揺られている。
挙動不審になる私を余所に、桜佑は電車の中でも私の手を離そうとしない。あんなことがあった後だからとても心強いのだけど、このまま社宅に行くのは気が引ける。
もし他の社員にバッタリ会ったら、なんて言い訳をすればいいのだろう。
徐々に心臓の音が速くなっていくことに気付かないふりをしながら、電車の窓に映る私達を見つめる。
婚約者というより男友達に見えるけど、桜佑は嫌じゃないのかな。
そんなことを考えていると、電車がゆっくりと駅に停車して、ぞろぞろと人が入ってきた。
その中に、酔っ払っているのか話し声が大きいグループがいて、自然と身体に力が入る。さっきの出来事がフラッシュバックしそうで、思わず桜佑の手をぎゅっと握り締めた。
「どうした?」
「…ううん、何でもない」
何とか笑顔を張り付けるも、引き攣ってしまう。すると桜佑は何か察したのか「俺がいるから大丈夫」と、繋いでいる手を強く握り返してくれた。
やっぱり自分の部屋に帰らなくてよかったのもしれない。ひとりでいると、色々思い出して眠れなくなりそうだから。