甘い罠、秘密にキス
「まぁお前がいいって言うなら、今すぐにでも押し倒すけど?」
冗談とも本気ともとれるような口調で、クスクス笑いながら問いかけてくる桜佑。
それに対し返事はせず、ただ桜佑の胸に顔を埋めていると「おい何か反応しろよ」と不貞腐れた声が落ちてきた。
「まさか怒った?確かに今のは少し調子に乗ったけど、でもそれはお前が散々煽るような…」
「桜佑」
「え、あ、はい」
ひとりぶつぶつと呟いているのを遮るように名前を呼ぶと、桜佑はぴくりと肩を揺らし、口を閉じた。
桜佑が黙った瞬間、一気に部屋が静かになり、自分の心臓の音が桜佑に伝わってしまうんじゃないかと、少しヒヤヒヤした。
「…私、そういう行為にあまりいい思い出がなくて」
──誰にも話したことがない、過去の話。
自分が惨めに思えて、香菜にすら言えなかった出来事。その話を何故かいま、桜佑に聞いてほしくなった。
「過去に、一瞬だけ付き合ってた人がいるって話をしたの覚えてる?」
桜佑の胸に顔を埋めたまま、ぽつぽつと独り言のように話し始めると、私を抱き締める腕の力が少し強くなった。「うん」と相槌を打つ声は、やっぱり優しい。
その包み込むような優しさに触れ、この人なら私が抱えていたトラウマを忘れさせてくれるんじゃないか、この人となら乗り越えられるんじゃないか。そう思ってしまった。
「その人と、一度だけそういう雰囲気になったことがあるんだけど…でも、出来なかったんだよね。この見た目のせいで」
「……」
「いや、見た目だけじゃないな。声も掠れてて可愛くないし、仕草も女らしくないし、それに胸だって…。だから萎えちゃったみたい。その人は私のこと、唯一女として見てくれてる人だと思ってたから、結構ショックで…」
今でもあの時のことは鮮明に覚えてる。
拒絶したその手は冷たく、その場の空気と私の心を一瞬で凍らせた。普段とても温厚な彼を、初めて怖いと思った。
私は未だに、あの時のショックを引きずっている。