甘い罠、秘密にキス

その後私達は、お互い気まずくなってすぐに別れた。

一応手を繋いだこともあるし、数回だけどキスもしたし、そういう雰囲気になった時も軽く前戯だってした。

でもそれも、別れた時に何もかも記憶から消した。彼とは何もなかったことにした。以前、桜佑に“何も無かったに等しいようなお付き合いだった”と伝えたのはそのためだ。

──だけど、心の傷だけは消えてくれなかった。


「あの日桜佑が私に手を出さなかった理由も、元彼と同じ理由だと思った」

「……」

「ごめんね、変な質問しちゃって」


藤さんのことは好きだったと思う。恋をしようと私なりに努力してたから。
だけど最後の記憶が強く残り過ぎて、彼をどう思っていたのかも、それが恋だったのかも分からなくなった。

藤さんは別れた今でも今まで通り接してくれる。こないだの清掃作業の後もそうだったけど、私を女子扱いする。相変わらず彼は優しい。

でも、だからこそ信じるのが怖い。心の奥底で何を思っているのか分からないから。


いつか他の誰かとそういう事になった時、再び拒絶されたらどうしよう。どうせ女らしく自分を変えることも出来ないし、このまま恋愛なんてしない方がいいんじゃないか。

心のどこかでそう思ってしまう自分がいるから、何もかもを諦めていた。

それなのに、何故か今日は桜佑のそばにいると、胸の奥のしこりが消えていくような気がした。


「…不安げにしてた理由って、それだけ?」

「えっ、それだけって…」


私なりに勇気を振り絞って話したつもりなのに、桜佑は“それだけ”の一言で片付けたかと思うと、私の顎を掬いとり、真っ直ぐな瞳で私を捉えた。


「お前、やっぱ全然分かってねえな」

「え…?」

「俺がどれだけお前のこと好きか」


真剣な表情で甘い台詞を吐かれ、一気に体温が上昇する。熱を孕んだ視線に、目を逸らせない。


「俺をあいつと一緒にすんじゃねえよ。こっちは何年も前からお前だけを見てんだよ」

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