結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「引き取られた伯爵家は、私が思っていたよりぼろぼろで、使用人も少なくて。借金まみれだったけど、とりあえず路上や教会を渡り歩くよりはもう少しマシな生活が確保できた」
そこには兄と先代の伯爵夫人であるサラがいて、愛人の子などどんな仕打ちを受けるだろうかと身構えていたのに予想に反して2人はとても優しく受け入れてくれた。
「だから、私はハルにお義母様の事を母と慕うように言い含めたの」
実際サラは優しかったし、実母の事を忘れかけていたハルはあっという間に本当の母親だと思い込んだ。
初めから存在しなかったかのように、ベルはハルに実母との思い出を一切語らなかった。
子どもだけで生きられるわけがない。
尻尾を振る相手を間違えてはいけない。それが、生き残るための最善だと思ったのだ。
「先代ストラル伯爵は自殺したらしいと後で聞いた。きっと、私のせいよ」
全員が快く自分たちの事を受け入れてくれたわけではなかった。
ただでさえ逼迫した状況なのに、何の役にも立たない子どもが2人も増えたのだ。当然だと思った。
嫌がらせがハルではなく、自分に集中した事だけが唯一の救いだった。
「抵抗したり、お兄さんに報告したりしなかったのか?」
「私は、ハルからママの存在を、そしてお兄様から父親を、お義母様から夫を奪ったのよ。言えるわけないじゃない」
だから黙って受け入れたのに、嫌がらせがエスカレートしていくうちにサラに気づかれ解雇された。
自分への暴行を裁くことを望まなかったのは、温情ではなく打算だった。
「追い出されたら、次はない。だから、とにかく伯爵家にとって役に立つ人間になろうと思った」
ベルは引き取られてから、必死で様々な事を身につけた。貴族令嬢らしい礼儀作法も、生きていくための知識も。
一つでも多くの事を身につけたくて、サラに何度も止められながら、それでも机に齧り付いた。
「そんなある日、王都からお戻りになったお兄様が、一人の老人を連れて帰って来た。それが、ヴィンさんだった」
王都とストラル伯爵領とを行き来する兄が連れて帰って来たのは、ひどい怪我を負った老人だった。
兄のお人好しは相変わらずで、困っているその人を放っておけなかったらしかった。
「その頃のストラル領はオレン熱収束後の復興の真っ最中だったけど、どこもかしこも悲しみの中に沈んでいた」
オレン熱の大流行で、皆親しい人を亡くしていた。ストラル領には、圧倒的に何もかもが足らなかった。
「被害状況をまとめていたお兄様の記録で私の生まれ育った町は全滅したらしいと知った。誰も残っていないなら、と私はひとりで生まれ育った町の様子を見に行く事にしたの」
「誰も残っていないのに?」
「怖かったの。ハルがお義母様やお兄様に懐く度、忘れさせなきゃってする度、自分の中からどんどんママの存在が消えていっちゃうみたいで。私まで、忘れちゃったら、本当に何も無くなってしまうって、怖かった」
一応とはいえ生活が安定すれば、頭に浮かぶのはどうしようもない罪悪感と寂しさだった。
「ちょっと行って帰ってくるだけ、なんて浅はかだった。私はもっと、恨まれる側の人間になったんだと自覚するべきだったの」
その頃はまだ先代領主に隠し子がいたとか異母きょうだいをストラル伯爵が引き取ったとかそんな話はまだ大々的に伝わってはいなかった。
身なりにしても上等服など着ていなかったから救済院に手伝いに行っていた時も、周りからは使用人の子や伯爵家で雇われている使用人の1人くらいにしか思われていなかった。
だから油断した。
「私を拐かして売ったのは、私の生まれた町の小さい時から知っていたお兄さんだった」
一瞬だった、とベルは淡々と話す。
「オレン熱で家族も婚約者も亡くしたそうよ。移住したこの町で、偶然伯爵家に出入りする私を見たらしいの。仕事に困っていて、自分も伯爵家で雇ってもらえないかって私を調べていたら、私が使用人ではなく先代領主の隠し子だと気づいたらしい」
ストラル伯爵家は随分と恨まれていた。何人もの人間に、お前達が悪い、人殺しと責め立てられた。
殴る蹴るの暴行を加えられずに済んだのは、無傷の方が高値で売れるかららしかった。
そこには兄と先代の伯爵夫人であるサラがいて、愛人の子などどんな仕打ちを受けるだろうかと身構えていたのに予想に反して2人はとても優しく受け入れてくれた。
「だから、私はハルにお義母様の事を母と慕うように言い含めたの」
実際サラは優しかったし、実母の事を忘れかけていたハルはあっという間に本当の母親だと思い込んだ。
初めから存在しなかったかのように、ベルはハルに実母との思い出を一切語らなかった。
子どもだけで生きられるわけがない。
尻尾を振る相手を間違えてはいけない。それが、生き残るための最善だと思ったのだ。
「先代ストラル伯爵は自殺したらしいと後で聞いた。きっと、私のせいよ」
全員が快く自分たちの事を受け入れてくれたわけではなかった。
ただでさえ逼迫した状況なのに、何の役にも立たない子どもが2人も増えたのだ。当然だと思った。
嫌がらせがハルではなく、自分に集中した事だけが唯一の救いだった。
「抵抗したり、お兄さんに報告したりしなかったのか?」
「私は、ハルからママの存在を、そしてお兄様から父親を、お義母様から夫を奪ったのよ。言えるわけないじゃない」
だから黙って受け入れたのに、嫌がらせがエスカレートしていくうちにサラに気づかれ解雇された。
自分への暴行を裁くことを望まなかったのは、温情ではなく打算だった。
「追い出されたら、次はない。だから、とにかく伯爵家にとって役に立つ人間になろうと思った」
ベルは引き取られてから、必死で様々な事を身につけた。貴族令嬢らしい礼儀作法も、生きていくための知識も。
一つでも多くの事を身につけたくて、サラに何度も止められながら、それでも机に齧り付いた。
「そんなある日、王都からお戻りになったお兄様が、一人の老人を連れて帰って来た。それが、ヴィンさんだった」
王都とストラル伯爵領とを行き来する兄が連れて帰って来たのは、ひどい怪我を負った老人だった。
兄のお人好しは相変わらずで、困っているその人を放っておけなかったらしかった。
「その頃のストラル領はオレン熱収束後の復興の真っ最中だったけど、どこもかしこも悲しみの中に沈んでいた」
オレン熱の大流行で、皆親しい人を亡くしていた。ストラル領には、圧倒的に何もかもが足らなかった。
「被害状況をまとめていたお兄様の記録で私の生まれ育った町は全滅したらしいと知った。誰も残っていないなら、と私はひとりで生まれ育った町の様子を見に行く事にしたの」
「誰も残っていないのに?」
「怖かったの。ハルがお義母様やお兄様に懐く度、忘れさせなきゃってする度、自分の中からどんどんママの存在が消えていっちゃうみたいで。私まで、忘れちゃったら、本当に何も無くなってしまうって、怖かった」
一応とはいえ生活が安定すれば、頭に浮かぶのはどうしようもない罪悪感と寂しさだった。
「ちょっと行って帰ってくるだけ、なんて浅はかだった。私はもっと、恨まれる側の人間になったんだと自覚するべきだったの」
その頃はまだ先代領主に隠し子がいたとか異母きょうだいをストラル伯爵が引き取ったとかそんな話はまだ大々的に伝わってはいなかった。
身なりにしても上等服など着ていなかったから救済院に手伝いに行っていた時も、周りからは使用人の子や伯爵家で雇われている使用人の1人くらいにしか思われていなかった。
だから油断した。
「私を拐かして売ったのは、私の生まれた町の小さい時から知っていたお兄さんだった」
一瞬だった、とベルは淡々と話す。
「オレン熱で家族も婚約者も亡くしたそうよ。移住したこの町で、偶然伯爵家に出入りする私を見たらしいの。仕事に困っていて、自分も伯爵家で雇ってもらえないかって私を調べていたら、私が使用人ではなく先代領主の隠し子だと気づいたらしい」
ストラル伯爵家は随分と恨まれていた。何人もの人間に、お前達が悪い、人殺しと責め立てられた。
殴る蹴るの暴行を加えられずに済んだのは、無傷の方が高値で売れるかららしかった。