結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
 先代ブルーノ公爵であり、未だに各界に影響力を持つ父、ヴィンセントの強い勧めで仕方なく認めたルキの仮初の婚約者。
 実際に言葉を交わしたことはないが、ベルの事は端から気に入らなかった。
 彼女の生まれはもちろん、どんなに好奇の視線に晒されても凛と前を向く自信に溢れたその様が、強く強かで美しい、人を惹きつける力を持っていた最愛の妻だった彼女のことを思い出させたからだ。
 ストラル伯爵と容姿の似ている弟の方はともかく浮浪児であった彼女が本当に先代ストラル伯爵の庶子かも疑わしい。そもそもそんな人間は公爵家の血筋に入れるには相応しくない。
 風除けとしては十分役に立った。ルキが伴侶を決めたのなら、もう彼女は必要ない。
 夜会から戻ってすぐ婚約破棄の要請を記した手紙をベル宛に送った。

 ベルがその手紙を持って別邸にやって来たのは翌朝の事だった。
 先触れはなかったがベルの調査結果から遅かれ早かれ自分に会いに来るだろうと思っていたルシファーは、彼女を応接室に通した。
 これだから卑しい生まれの女は、と思った。風除けの分際でどうせルキと結婚し、公爵夫人になるのは自分だとごねる気だろう。
 だから対策としてストラル領やストラル社への制裁を仄めかし、布石としてストラル社で取扱っている物資を王都に運搬する際のルートを封じておいた。
 王都に近く、広大な土地を有する公爵領を通れなくすれば、ストラル伯爵家の商売はたちまち回らなくなる。
 その気になれば成金貴族などいつでも潰せると脅すには十分だ。
 とはいえやり過ぎは禁物だ。妹はともかく、多くの下級貴族の支持を得るだけでなく、なぜか上流階級の重鎮とも繋がりを待つストラル伯爵は敵に回したくはない。
 通行止めの損失分を含め、頷かせるには十分過ぎる金額の慰謝料。それを落としどころとするつもりだった。
 だが、ベルは通された応接室で開口一番にこう言ったのだ。

「公爵様! 悪役令嬢はご入り用ではありませんか?」

 と、とても楽しそうに、嬉々とした声で。
 全てを見透かしたようなアクアマリンの瞳には、媚びたりゴネる色はなく、そこにいるのは1人の商人だった。

「どなたのシナリオかは存じませんが、婚約破棄は派手でないと」

 そう言って彼女が提案した内容は、この縁談を上手くまとめたいアネッサ王女から要望があった内容に近いものだった。
 ーー彼女が泥を被ってくれたなら完璧なのだけど。
 歌うようにそう言葉を紡いだ毒気を孕んだ薔薇の花はさも当たり前のように人を蹴落とすことを望む。それを掬い上げたようなベルからの提案を拒む理由がルシファーにはなかった。

「白金貨は相殺していただかなくて結構です。アレはヴィンセント様の個人資産からでしょうから。伯爵家への損失の補填も結構。その代わり金輪際ブルーノ公爵領との通常のお取引はいたしません」

 アクアマリンの瞳は淡々とした口調でそう言って笑う。
 別にストラル伯爵領との取引は元々多くはなかった。取引先がなくなって困るのはむしろストラル伯爵家側。
 それをルシファーの表情から読み取ったらしいベルは、

「理由のない制裁は公爵家の品位を損ないますよ。今後関わりはない方がいいでしょう、お互いに」

 と苦笑して見せた。
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