結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「ハル、頼む。ベルに会わせて欲しい」
憔悴しきった顔で頭を下げるルキを見ながら、ハルはコーヒーを一口飲むと、
「……よく僕にそれを言えますね」
呆れたような声で淡々とそう言った。
「どのツラ下げてと言われても仕方ないのは分かっている。だけど、せめてベルと話がしたい」
ベルの消息が全く掴めない。
あの夜公爵家に戻った時にはすでにベルの姿はなく、ベルに贈ったドレスや装飾品などは全てそのままで彼女の私物だけが無くなっていた。
翌日から伯爵家に何度使いを出しても門前払い。
ベルの職場に問い合わせても取次はしてもらえず、ストラル伯爵に会えないかと接触を試みるも紹介のない人間とは会わないとの回答で全く取り合ってもらえない。
公爵家の人間として上流階級特権を行使しようと身分証とも言える懐中時計を見せても"申し訳ありませんが、ストラル社は独立機関となっておりますので"と受付嬢ににこやかに断られた。
王都内でどこを探してもベルの痕跡が見つからない。領地に行かれたのだとしたら、もう後を追うことはできない。
勉強会の約束をしていたハルを捕まえて何とかベルに会えないかと尋ねられた時には、彼女が出て行ってからすでに2週間が過ぎていた。
「とりあえず頭を上げてください。どのツラ下げてなんていいません。姉さんが選んで、姉さんが決めて、姉さんが自分の意思で出て行った。それだけです」
「選んだ? 選ばされた、の間違いだろ」
ルキの濃紺の目が強い嫌悪感と憤怒の色に染まる。
もともと貴族の庶子であるという生まれでベルを軽んじる人間が一定数いた。ベルが社交界に顔を出さず、その存在が目立たなかった時はまだ良かったのだろう。
だが、それはいつだって彼女が表に出た瞬間攻撃材料になるのだ。例えば学園で優秀な成績を納めて外交省を受けた時や公爵家の婚約者となった時に。
「いいえ、ルキ様。姉は選んだんです。あなたより、ストラル伯爵家を」
ハルは静かに淡々と事実をルキに告げる。目を逸らそうとしたそれをハルに突きつけられて、濃紺の瞳が揺れる。
「だから、どうか責めないでください。自分の事も、できたら姉の事も」
自分はベルに選ばれなかった。
ただ、それだけ。
突きつけられた事実が、ルキの中でもうベルには会えないのだという実感に変わる。
そんなルキにベルと同じアクアマリンの色をした瞳で少し困ったような顔をしたハルがハンカチを差し出す。
「それほどまでに姉さんを思ってくれてありがとうございます。でも、できたら泡沫の夢だとでも思って忘れてください。あの人は逆境に強いんで、傷ついても一人で立ち上がりますから」
濃紺の瞳から一筋の涙が落ちる。
これ以上騒ぎ立てるのも、ベルを探すのも、ベルの選択を踏み躙り、彼女が守りたいと思ったストラル伯爵家に迷惑をかけるだけなのだとここまで懇切丁寧に諭されて、ルキはようやく理解が追いついた。
これは自分がベルの強さと優しさに甘えて何もしなかった結果だ。だから、彼女は未練も可能性も一切残さず去ったのだとルキは思う。
「……ベルは……俺よりずっと、貴族らしいな」
伯爵家に連なる者として、領民の生活を守る責任と義務をその細い肩に背負い、降りかかる火の粉から身を挺して庇う。
自分に対する悪評など気にせずに、前を向いて立つその姿は、誰よりも強くて美しく、物哀しい。
そんな、もう想いを伝える事すらできない大事な人。
「貴族に名を連ねる以上、好き嫌いだけで、一緒にいる相手を選べるわけもなかったのに。……俺は、どこまで甘えていたんだろうな」
『次期公爵が情けないこと言わないの』
今の自分を見たらきっとベルにそんな風に叱られてしまう。
「貴族なんて生き物は本当に面倒ですよね」
しがらみが多くて、とハルは苦笑する。
「でも、貴族でなかったら俺たちは出会う事すらできなかっただろうから」
ぽつりと漏らしたルキは、
「……俺も公爵家の人間として、義務を果たさないとな」
時間を取らせて悪かった、とそう言ったルキはハルに礼を言って静かに席を立つ。
もうその濃紺の瞳に怒りや後悔の色はなくなっていた。
憔悴しきった顔で頭を下げるルキを見ながら、ハルはコーヒーを一口飲むと、
「……よく僕にそれを言えますね」
呆れたような声で淡々とそう言った。
「どのツラ下げてと言われても仕方ないのは分かっている。だけど、せめてベルと話がしたい」
ベルの消息が全く掴めない。
あの夜公爵家に戻った時にはすでにベルの姿はなく、ベルに贈ったドレスや装飾品などは全てそのままで彼女の私物だけが無くなっていた。
翌日から伯爵家に何度使いを出しても門前払い。
ベルの職場に問い合わせても取次はしてもらえず、ストラル伯爵に会えないかと接触を試みるも紹介のない人間とは会わないとの回答で全く取り合ってもらえない。
公爵家の人間として上流階級特権を行使しようと身分証とも言える懐中時計を見せても"申し訳ありませんが、ストラル社は独立機関となっておりますので"と受付嬢ににこやかに断られた。
王都内でどこを探してもベルの痕跡が見つからない。領地に行かれたのだとしたら、もう後を追うことはできない。
勉強会の約束をしていたハルを捕まえて何とかベルに会えないかと尋ねられた時には、彼女が出て行ってからすでに2週間が過ぎていた。
「とりあえず頭を上げてください。どのツラ下げてなんていいません。姉さんが選んで、姉さんが決めて、姉さんが自分の意思で出て行った。それだけです」
「選んだ? 選ばされた、の間違いだろ」
ルキの濃紺の目が強い嫌悪感と憤怒の色に染まる。
もともと貴族の庶子であるという生まれでベルを軽んじる人間が一定数いた。ベルが社交界に顔を出さず、その存在が目立たなかった時はまだ良かったのだろう。
だが、それはいつだって彼女が表に出た瞬間攻撃材料になるのだ。例えば学園で優秀な成績を納めて外交省を受けた時や公爵家の婚約者となった時に。
「いいえ、ルキ様。姉は選んだんです。あなたより、ストラル伯爵家を」
ハルは静かに淡々と事実をルキに告げる。目を逸らそうとしたそれをハルに突きつけられて、濃紺の瞳が揺れる。
「だから、どうか責めないでください。自分の事も、できたら姉の事も」
自分はベルに選ばれなかった。
ただ、それだけ。
突きつけられた事実が、ルキの中でもうベルには会えないのだという実感に変わる。
そんなルキにベルと同じアクアマリンの色をした瞳で少し困ったような顔をしたハルがハンカチを差し出す。
「それほどまでに姉さんを思ってくれてありがとうございます。でも、できたら泡沫の夢だとでも思って忘れてください。あの人は逆境に強いんで、傷ついても一人で立ち上がりますから」
濃紺の瞳から一筋の涙が落ちる。
これ以上騒ぎ立てるのも、ベルを探すのも、ベルの選択を踏み躙り、彼女が守りたいと思ったストラル伯爵家に迷惑をかけるだけなのだとここまで懇切丁寧に諭されて、ルキはようやく理解が追いついた。
これは自分がベルの強さと優しさに甘えて何もしなかった結果だ。だから、彼女は未練も可能性も一切残さず去ったのだとルキは思う。
「……ベルは……俺よりずっと、貴族らしいな」
伯爵家に連なる者として、領民の生活を守る責任と義務をその細い肩に背負い、降りかかる火の粉から身を挺して庇う。
自分に対する悪評など気にせずに、前を向いて立つその姿は、誰よりも強くて美しく、物哀しい。
そんな、もう想いを伝える事すらできない大事な人。
「貴族に名を連ねる以上、好き嫌いだけで、一緒にいる相手を選べるわけもなかったのに。……俺は、どこまで甘えていたんだろうな」
『次期公爵が情けないこと言わないの』
今の自分を見たらきっとベルにそんな風に叱られてしまう。
「貴族なんて生き物は本当に面倒ですよね」
しがらみが多くて、とハルは苦笑する。
「でも、貴族でなかったら俺たちは出会う事すらできなかっただろうから」
ぽつりと漏らしたルキは、
「……俺も公爵家の人間として、義務を果たさないとな」
時間を取らせて悪かった、とそう言ったルキはハルに礼を言って静かに席を立つ。
もうその濃紺の瞳に怒りや後悔の色はなくなっていた。