結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
 少しだけ時間が欲しいと言ったルキに、初めは難色を示したベルだったが、お茶一杯分だけと粘られてため息交じりに了承した。

 このエリアは一部冠水した程度の被害だったのでほとんどの住人は元の生活に戻れている。
 それでもまだ日常に戻れない者がいるのは確かなのでもうしばらく支援が必要だとぐるりと今日回った所感を元にルキはチェックリストに必要項目を落とし込んでいく。
 そんなルキを見ながら、
 
「……仕事中ではないのですか?」

 差し出されたお茶を一口飲んでベルは尋ねる。
 お茶一杯分の時間。
 それすらゆっくり取れないほどやる事が山積みであるはずなのに、もう少しだけと自分を捕まえた意図が分からずベルは首を傾げる。

「うん、今日はこれで終わり」

 ようやく終わったと背伸びをしたルキは、

「ストラル伯爵ってさぁ、なんで伯爵やってるの?」

 書類を鞄にしまい自分の分のお茶をコップに注ぎながらそう尋ねる。

「なんで、って爵位を継いだからでは?」

 唐突に尋ねられた質問の意図が分からず、ベルは首を傾げながら、そういえば兄が伯爵になった経緯は聞いたことがないなとふと思う。

「伯爵は貴族の暮らしに執着があるわけでもなさそうだし、政治にも権力にも名声にも興味がなさそうだし。今でこそ領地経営は順調だけど、継承問題が生じた時は赤字領地で多額の負債。手離す、って選択もあったはずなのになんで伯爵になったのかな、って」

 ルキに言われて、ベルはそんな選択肢もあったのかと驚く。
 出会った時にはすでに兄は伯爵で、誰も助けてくれない赤字領地を抱えながら、それでもストラル伯爵家を一人で背負って立っていた。

「本当のところは本人に聞かないと分かりませんが、きっと放っておけなかったんだと思います」

「……放っておけない?」

 ベルはゆっくり頷くと、

「きっとお兄様が手を出さなくても誰かがしなきゃいけない事、だったから。なら、自分がやればいいかって」

 ベルはアクアマリンの瞳を瞬かせ、楽しそうに笑うと、

「だって、私のお兄様だもん。犬でも猫でも老人でも従業員でも妹でも弟でも嫁でも困ってれば拾って来ちゃうの。でもちゃんと最後まで責任とってくれるんだから、カッコいいでしょ?」

 ベルは誇らしげに笑い、兄を語る。
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