結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
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 モリンズ侯爵夫人はかつて王宮勤めもした事のある礼儀作法の先生で、彼女の指導はかなり手厳しかった。
 授業中は無駄な雑談は一切なく、にこやかに笑みを浮かべる事はない。そのためモリンズ侯爵夫人の指導についていけず泣きながら投げ出す令嬢もいると聞く。
 だが、ベルは彼女の事が直ぐに好きになった。モリンズ侯爵夫人は誰に対しても公明正大で、厳しいダメ出しは相手を思っての事だとわかるものであったから。

 そして授業のあとは毎回彼女にお茶に誘ってもらった。

「ストラル伯爵令嬢、あなたは不満を全く表しませんね」

 何度目かのお茶の際、モリンズ侯爵夫人にそう言われ、ベルは静かに微笑んだ。

「こんなに良くして頂いているモリンズ侯爵夫人に対して、一体何の不満があるというのでしょう?」

 身につけた作法を実践しながらベルは静かに言葉を続ける。

「私はあの人の隣に立てるだけの力が欲しいのです。何も持たない私には、努力し続ける事しかできませんから」

「隣に立つ、ですか」

「生意気だと、お思いですか?」

 公爵たる夫を立てるではなく、同等に渡り合えるだけの力が必要だと言ったベルの事を楽しげに見たモリンズ侯爵夫人は、

「いいえ、目標を持つことは大事です。そして私は努力できる子は好きですよ」

 では、明日からもう少しスパルタにしましょうかと告げた。

 ベルはモリンズ侯爵夫人の教えをしっかり理解し、弱音を吐く事なくついて行った。
 結婚するにあたり、一区切りしましょうといったモリンズ侯爵夫人に手渡されたイヤリングはモリンズ侯爵領で採取される日光で色が変わる珍しい宝石を使ったものだった。

「権力、というものは剣にも盾にもなります。貴女ならこれを上手く使えるでしょう」

 コレは彼女に淑女として認められたという証であると共にモリンズ侯爵家の後ろ盾がある事を示す事になる。

「……モリンズ侯爵夫人」

 アクアマリンの瞳を瞬かせ、驚いたように彼女の名を呼んだベルに、

「見ている人間は、ちゃんとあなたの価値を理解しているものですよ。今後は何かあれば母のように頼りなさい」

 王都にも相談できる母は必要でしょう? と凛とした声でそう言ってモリンズ侯爵夫人は優しく笑ってくれた。

 モリンズ侯爵夫人に貴婦人たちの集まりに連れて行ってもらえるようになったのはそれからで、先日のお茶会ではそれぞれの結婚式のエピソードを聞いた。
 あれ? そう言えば大事な事を言われたようなとベルが思い出したところで意識がゆっくり浮上する。

******

「ごめん、起こした」

 よく寝てたから毛布かけようと思ってと、まだ眠たそうにぼんやりしているベルの頭を撫でてルキが笑う。

「…………初夜の心得について夫人達からめちゃくちゃ吹き込まれたときの夢見てた。ごめん、普通に寝てた」

 疲れ過ぎて飛んでたと自室に帰らせてもらえなかった理由を今更ながらベルは理解する。

「いいよ、疲れてるのに無理しなくて」

 律儀に謝るベルに苦笑したルキは、

「今日はもう寝よう。俺も疲れた」

 睡眠大事とちゃんとベッドに入るようにベルを促す。

「……怒ってない?」

 素直に従ったベルは、ベッドに腰掛けたまま髪を撫でるルキにそう尋ねる。

「それくらいで怒らないよ。明日も明後日もそこから先もずっと一緒にいるんだから」

 大丈夫と優しい口調でそう言ったルキの声に安心したベルは、トントンっと自分の隣を手で叩く。

「じゃあ、一緒に寝よ。手を繋いでいて欲しい」

「…………ヒトの理性を試すのは良くないと思う」

「家族になった初日だから、一緒にいたいのになぁ」

 ダメ? とベルが珍しく甘えている様子と差し出された手に白旗を上げたルキは、大人しくベッドに入って彼女と手を繋ぐ。

「ふふ、今日からよろしくね。旦那様」

「こちらこそ、末永くよろしく。若奥様」

 そう言って笑い合い、お互い労って眠りについた。

 その晩ベルはとても幸せな夢を見た。
 明け方には忘れてしまったその夢が現実になって、ルキによく似た男の子と自分によく似た女の子に2人が振り回されるようになるのはそう遠くない未来のお話し。
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