結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「……ベル、ちょっといいか?」

 夕食後、ルキは再びベルの部屋を訪ねた。

「どうぞ〜」

 ベルはいつも通り気さくに中に通したが、昼とは違いその部屋は元通りにガランと片付いていて、いつでも出て行ける状態になっていた。

「荷物、これだけ……か?」

 ベルが来た時と同様にそこにはカバンがひとつあるだけで、特に手伝う事がないと悟ったルキは備え付けの椅子に腰掛けた。

「そうですねぇ、元々必要最低限で来ましたし」

 ここにいる間はほぼメイド服でしたしねとベルは笑う。
 そう言われれば屋敷内でベルの私服姿はほとんど見ていない気がすると、シンプルなワンピースに羽織りをかけている今のベルの姿が新鮮に見え、いけないものを見た気がしてルキはベルから視線を外した。

「引越し先って、どこなんだ」

 そういえば聞いていなかったとルキはベルに尋ねる。

「ああ、ウェスト街です」

 聞かれたベルは物件情報を取り出してルキに見せた。

「ベル、ここどう見ても貸店舗なんだけど」

 差し出された資料に目を落としたルキは、本当にここに住む気かと眉根を寄せる。

「賃貸としてはなかなかの優良物件ですよ。2階のここを当面の棲家にしようと思って」

 が、ベルは当たり前にそう言って良いでしょと楽しそうに笑った。

「……いや、どう考えても不便だろ」

「一応水回りついてるし、職場でシャワー借りればいいし、今も半分くらい職場に住んでるようなものだし」

 特に不便は感じないですねと言い切るベルを見て、まぁ3ヶ月物置き部屋に住み着いたベルならそうなのかもしれないとルキは無理矢理自分を納得させた。

「……なんでここ?」

「立地がいいんですよね〜。下級貴族御用達のお店が並んでますし、治安もいいのでふらっと学校帰りの裕福層の庶民のお嬢様達が遊んで行くような通りも近いし」

 実は前から目を付けてましたとベルはルキから物件情報を回収して、楽しそうにこれからを語る。

「シルヴィアお嬢様のドレスだけだと厳しかったんですけど、この前のルキ様の職場イベントで知り合ったお姉様方から不要ドレス買い取れましたし、そろそろ保管場所も兼ねて店舗借りようと思ってたんです」

 だから良い機会かなって、と楽しそうに語るベルの未来には当然ルキはいない。

「あとは私好みのデザイナーさんとお針子さんの確保が問題ですね。あてはあるんですけど、なかなか頷いてもらえなくて」

 とりあえずできるところからはじめてみようかなってと着々と前に進んで行くベルを見ながら、分かっていたことなのに何故こんなに気持ちがざわつくんだろうとルキは目を伏せる。

「……君がいないと、シルヴィアの機嫌取るのが大変だな」

 だが、ルキはベルを引き留める理由も、その言葉も持っておらず、そう口にするのが精一杯だった。
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