結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「眠くなったら寝ちゃってもいいですよ。その時は私勝手に部屋に戻りますから」

 それまでおしゃべりでもしましょうか、とベルは優しげな声でそう話しかける。

「……なんでベルはこんな事してくれるの?」

「んーそーですねぇ。ルキ様が豆腐メンタルなんで心配なのが1点と」

「……相変わらず失礼な」

 だって事実でしょとベルは揶揄うように言って静かに笑う。

「あとは、私が個人的にヴィンセント様、つまりあなたのお祖父様に大恩があるからです」

 えっ、と小さく声を上げたルキはホットアイマスクを外し、驚いた顔をして上体を起こす。

「動かれるとハンドマッサージできないんですけど」

 いつも通りの調子で眉根を寄せて抗議するベルに、

「いやいやいやいや、俺そんな話聞いてないんだけど」

 ルキの濃紺の瞳が困惑を示す。

「ホットアイマスク、冷えましたね。もう1個入ります?」

 ルキの落としたホットアイマスクを拾って、ベルが尋ねる。

「いや、ベル! 俺、そんな話知らない」

 ホットアイマスクどころじゃないからと抗議の声をあげるルキに、

「ふふ、あなたは本当に婚約者に興味がないですねー。私との婚約の経緯なんて本気で調べようと思えばいくらでも調べる方法はあったでしょうに」

 とベルはおかしそうにルキに笑いかけたあと、ルキの手に精油を垂らす。

「だから、私はあなたにとって"絶対安全"なんです。ヴィンさんの大事なお孫さんを傷つけるような事はしないから」

 ハンドマッサージを続けながらベルは淡々とそう言葉を紡ぐ。

「私が頼まれたのは結婚したくないあなたのための風除け役です。婚約者がいないと信用問題になるなんて、上流階級の方は本当に面倒ですね」

「……つまり、公爵家が婚約を申し入れたくせに、公爵家の都合で婚約破棄する事が初めから決まってたって事か?」

「それについては、最初からお伝えしていたではありませんか。"私も結婚する気はありません、1年限りの契約婚約です"って」

 そう、初めて会った見合いの日にベルから契約を持ちかけられて、この話に乗ったのは自分自身だ。
 内容も何ひとつ変わっていない。

「女性に苦手意識を持っているあなたを慣れさせる意味もあったのだと思います。ヴィンセント様から返しきれないほどの恩を受けた私があなたに手を出すことは絶対にありえないから」

 それなのに、ベルの語る知らなかった話を聞いて、ルキは急に胸が締め付けられるほど苦しくなる。

「勘違いしないで欲しいんですけど、頼まれたのはあくまで風除けだけで、あとは全部私が勝手にやった事です。今ここにいるのも、この話をしているのも、全部私の独断です」

 信じる、信じないはルキ様にお任せしますとベルはそう告げる。
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