侯爵閣下。私たちの白い結婚には妥協や歩み寄りはいっさいないのですね。それでしたら、あなた同様私も好きなようにさせていただきます
「クーン」

 アールの心配げな鳴き声をどこか遠くの方できいた気がする。

「リエッ!」

 彼が、侯爵がわたしの名を呼んだのも、どこか遠くで呼ばれている気がした。

 同時に、侯爵が自分にまとわりつくレディを振り払うようにし、こちらに駆けて来た。

 それを見た瞬間、踵を返していた。うしろを向いたときには、すでに走りだしている。

「リエッ、待ってくれ。待ってくれ、リエッ!」

 侯爵の怒鳴り声が雨音ににじむ。

 いいえ。にじんでいるのは涙。

 それでなくても雨で視界が悪いのに、ボヤーッとしてよりいっそう悪くなっている。それでもかまわない。とにかく、侯爵から逃げたい。彼の前から消え去りたい。

 その思いで頭と心をいっぱいにしながら、足を動かし続けた。

 しだいに侯爵の声はきこえなくなった。
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