モーニングコーヒー
ルーティーン
「おはようございまーす……」
何となく小声になってしまうのは、室内に誰もいないことが分かっているから。
自席に着いて、パソコンを立ち上げる。
いつものデスクトップから、慣れた手付きでメールソフトを開いた。
タカタカ、タカタカ。
ひとりきりの時間が続く。
キーボードを叩く音と、微かな空調音のみの空間だ。
昨日退勤した後に届いていたメールをひとしきり確認し終えると、うーんと伸びをした。
腕を伸ばした瞬間、小さくポキッと鳴ったのが聞こえて内心焦る。
(ーー運動不足だなあ)
心の中でぼやいて、立ち上がる。
向かった先はフロア共同の給湯室。私はここでしばしの間、いい香りのするコーヒーをいれることに尽力する。素人ながら、銘柄にこだわってみたりして。ドリップなんてしちゃったりして。
そうして熱々のマグカップを自席まで運んできたとき、フロアに耳慣れた声が響いた。
「葉山、今日も早いな」
「加賀見係長」
おはようございます、と挨拶すると、おはよう、と間延びした声。短い髪の毛はしっかりセットされているのに、まだスイッチが入っていないのか少しだけ眠そうだ。もう少しで、きりっとしたいつもの係長になってしまう。その姿も勿論素敵だけれど、早朝にしか会えないこのオフモード仕様の係長は、かなり貴重だ。
加賀見係長はハンガーにコートをかけると、ノートパソコンをケーブルに繋ぎ出した。私は自席のディスプレイの陰からその様子をそっと眺める。
そうしていると、まあまあ距離があるのに視線を感じたのか、バチッと目が合った。慌てて下げた視線を自分の机に固定してみたものの、気にした様子も無い係長に普通に話しかけられた。
「いつも旨そうなの飲んでるな」
俺はずっとこれだよ、と手元にあったコンビニのロゴが入ったカップを掲げて見せてくる。
ーー知ってます!
そう喉まで出かかった言葉を飲み込んで、ひと呼吸置いた。
「ーー美味しいらしいですね。興味はあるんですけど、買い方が難しくて……」
なんだよそれ、と、心底おかしそうな笑い声に、胸の奥がぎゅっと反応した。
「簡単だよ。何買うか決めて、レジで言うだけ」
「それはさすがに知ってます、けど」
「けど?」
う、今日は会話が長い。
挨拶だけで終わってしまう日がほとんどだというのに、急にこうして関心を持ってくるところが、ズルい。
「き、緊張するので……」
咄嗟に出てきた割には、その通りだと思った。
朝の混雑しているコンビニでオーダーするのは私にとっては勇気の要ることだ。まごまごしていると、あっという間に後ろに列が出来てしまう。コンビニによっても買い方が違うようだし、パニックに陥ること必至。
しかし、彼にとっては想定外の回答だったらしい。眠そうだった目が、まん丸に開いている。
そして、柔らかく形を変えた。
「ーーやっぱり面白いよなあ、葉山は。今度一緒に行って教えようか」
「遠慮します!」
そんなことをされたら、もっと緊張してしまう。鏡を見ていなくても顔が赤くなったのが分かった。
明らかに冗談だと分かる台詞に全力で拒否をしたことが面白かったのか、加賀見係長は声を上げて笑っている。
そのまま彼の視線が私とコーヒーから自分の目の前にあるパソコンへと移って、私たちの朝の会話は終了した。
ーー今のところ、出社前にコンビニでコーヒーを買う予定は私には無い。
何故なら、毎朝こんなに早く出勤する〝理由〟がなくなってしまうからだ。
何となく小声になってしまうのは、室内に誰もいないことが分かっているから。
自席に着いて、パソコンを立ち上げる。
いつものデスクトップから、慣れた手付きでメールソフトを開いた。
タカタカ、タカタカ。
ひとりきりの時間が続く。
キーボードを叩く音と、微かな空調音のみの空間だ。
昨日退勤した後に届いていたメールをひとしきり確認し終えると、うーんと伸びをした。
腕を伸ばした瞬間、小さくポキッと鳴ったのが聞こえて内心焦る。
(ーー運動不足だなあ)
心の中でぼやいて、立ち上がる。
向かった先はフロア共同の給湯室。私はここでしばしの間、いい香りのするコーヒーをいれることに尽力する。素人ながら、銘柄にこだわってみたりして。ドリップなんてしちゃったりして。
そうして熱々のマグカップを自席まで運んできたとき、フロアに耳慣れた声が響いた。
「葉山、今日も早いな」
「加賀見係長」
おはようございます、と挨拶すると、おはよう、と間延びした声。短い髪の毛はしっかりセットされているのに、まだスイッチが入っていないのか少しだけ眠そうだ。もう少しで、きりっとしたいつもの係長になってしまう。その姿も勿論素敵だけれど、早朝にしか会えないこのオフモード仕様の係長は、かなり貴重だ。
加賀見係長はハンガーにコートをかけると、ノートパソコンをケーブルに繋ぎ出した。私は自席のディスプレイの陰からその様子をそっと眺める。
そうしていると、まあまあ距離があるのに視線を感じたのか、バチッと目が合った。慌てて下げた視線を自分の机に固定してみたものの、気にした様子も無い係長に普通に話しかけられた。
「いつも旨そうなの飲んでるな」
俺はずっとこれだよ、と手元にあったコンビニのロゴが入ったカップを掲げて見せてくる。
ーー知ってます!
そう喉まで出かかった言葉を飲み込んで、ひと呼吸置いた。
「ーー美味しいらしいですね。興味はあるんですけど、買い方が難しくて……」
なんだよそれ、と、心底おかしそうな笑い声に、胸の奥がぎゅっと反応した。
「簡単だよ。何買うか決めて、レジで言うだけ」
「それはさすがに知ってます、けど」
「けど?」
う、今日は会話が長い。
挨拶だけで終わってしまう日がほとんどだというのに、急にこうして関心を持ってくるところが、ズルい。
「き、緊張するので……」
咄嗟に出てきた割には、その通りだと思った。
朝の混雑しているコンビニでオーダーするのは私にとっては勇気の要ることだ。まごまごしていると、あっという間に後ろに列が出来てしまう。コンビニによっても買い方が違うようだし、パニックに陥ること必至。
しかし、彼にとっては想定外の回答だったらしい。眠そうだった目が、まん丸に開いている。
そして、柔らかく形を変えた。
「ーーやっぱり面白いよなあ、葉山は。今度一緒に行って教えようか」
「遠慮します!」
そんなことをされたら、もっと緊張してしまう。鏡を見ていなくても顔が赤くなったのが分かった。
明らかに冗談だと分かる台詞に全力で拒否をしたことが面白かったのか、加賀見係長は声を上げて笑っている。
そのまま彼の視線が私とコーヒーから自分の目の前にあるパソコンへと移って、私たちの朝の会話は終了した。
ーー今のところ、出社前にコンビニでコーヒーを買う予定は私には無い。
何故なら、毎朝こんなに早く出勤する〝理由〟がなくなってしまうからだ。
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