モーニングコーヒー
偶然会えたあの日から
加賀見係長は、このABC事務機株式会社 営業部の現場リーダー的存在だ。営業部には3つの課があり、彼は拡大販売メインの第一課に所属している。
つまり、バリバリの営業マン。
何よりも現場優先の忙しい人で、会社には一応出勤するものの、朝礼もそこそこにそのままビューンと外回りの日々を送っているのだ。直行直帰なんて日もザラである。
・・・・・
一年近く前、私が営業部全体の営業事務として配属された当時は、加賀見係長を社内で見かけることはなかった。
〝加賀見係長〟という人物は実は存在しないのではないか、と真剣に考えたほどに見かけなかった。
しかし、ちゃんと席はある。いつもそこにパソコンは置いて無かったけれど、時々机の上の配置が何となく変わっている(気がする)。人の気配は感じ取れた。
一体、どんな人なのだろう。
そんなことを考えて過ごす日々も、まるで都市伝説を追っている様な気分になって楽しかった。気になり過ぎて、周りの人が加賀見係長を話題にする度に耳をそば立ててしまうこともあった。
答え合わせのような出会いは突然訪れた。
その日は偶然早起きをして、偶然早い時間に出勤した、偶然が続いた日だった。
しんと静まり返ったオフィスに足を踏み入れると、まだそこだけ目覚める前のようで神聖な気持ちになる。
『お、人がいたのか。おはよう』
何だかその雰囲気が入り辛くて入り口付近でぼーっと突っ立っていたところに、突然背後から声が聞こえたので、私は飛び上がりそうになった。
もしも高いヒールを履いていたら、足を捻っていたかも知れない。おろしたばかりのローヒールで良かった。これも偶然。
『おっ、おはようございます……!』
しっかりセットされた短い黒髪に、やや切れ長の目に合ったまっすぐの眉。
慌てて振り返り挨拶はしたが、全く見覚えのない顔だ。
(誰?! もしかして私、入る部屋間違えた?!)
クラス替え後の新学期初日のような凡ミスだ。朝は弱い方だけれど呆けているつもりはなかったのに、と考えを巡らせていると、目の前の、紺色スーツを爽やかに着こなした見知らぬ彼は言った。
『誰?』
『え?!』
『って、顔してる』
『いや、あのーー』
慌てふためいて言い訳も言えずにいると、彼はぷっと吹き出した。手の甲を口に当てて、肩を揺らしている。
『はは、悪い悪い。もしかして、新しく配属された営業事務の……葉山、さん?』
新しくと言っても、もう大分時が経っているのだけれど。冷静になればそんな突っ込みも出来たのかもしれないが、その時の私には何度も頷くことが精いっぱいの返事だった。
『一課の加賀見です。よろしく』
『かがみ……って』
どこかで聞いた名前だ、と思っていたら。
あのずっと謎の存在だった加賀見係長だと気付いた私は、思わず聞き返していた。
『ホンモノですか?!』
『俺のニセモノがいるの? 葉山さん、面白いこと言うな』
そう言って爽やかに笑った加賀見係長は壁の方へ歩いて行き、慣れた手付きで蛍光灯のスイッチを押した。
灯りが点くと、今まで見えていなかったものが見えてくる。感じていなかったことも感じるようになる。
スーツにうっすらストライプが入っていたこととか、灯りを点けたバッグを持っていない方の手にはロゴ入りの白いカップが握られていたこととか。
そのカップからは、コーヒーのいい香りが漂ってきたこととか。
ーー眠っていたオフィスに、やっと朝が来たように思えた。
・・・・・
つまり、バリバリの営業マン。
何よりも現場優先の忙しい人で、会社には一応出勤するものの、朝礼もそこそこにそのままビューンと外回りの日々を送っているのだ。直行直帰なんて日もザラである。
・・・・・
一年近く前、私が営業部全体の営業事務として配属された当時は、加賀見係長を社内で見かけることはなかった。
〝加賀見係長〟という人物は実は存在しないのではないか、と真剣に考えたほどに見かけなかった。
しかし、ちゃんと席はある。いつもそこにパソコンは置いて無かったけれど、時々机の上の配置が何となく変わっている(気がする)。人の気配は感じ取れた。
一体、どんな人なのだろう。
そんなことを考えて過ごす日々も、まるで都市伝説を追っている様な気分になって楽しかった。気になり過ぎて、周りの人が加賀見係長を話題にする度に耳をそば立ててしまうこともあった。
答え合わせのような出会いは突然訪れた。
その日は偶然早起きをして、偶然早い時間に出勤した、偶然が続いた日だった。
しんと静まり返ったオフィスに足を踏み入れると、まだそこだけ目覚める前のようで神聖な気持ちになる。
『お、人がいたのか。おはよう』
何だかその雰囲気が入り辛くて入り口付近でぼーっと突っ立っていたところに、突然背後から声が聞こえたので、私は飛び上がりそうになった。
もしも高いヒールを履いていたら、足を捻っていたかも知れない。おろしたばかりのローヒールで良かった。これも偶然。
『おっ、おはようございます……!』
しっかりセットされた短い黒髪に、やや切れ長の目に合ったまっすぐの眉。
慌てて振り返り挨拶はしたが、全く見覚えのない顔だ。
(誰?! もしかして私、入る部屋間違えた?!)
クラス替え後の新学期初日のような凡ミスだ。朝は弱い方だけれど呆けているつもりはなかったのに、と考えを巡らせていると、目の前の、紺色スーツを爽やかに着こなした見知らぬ彼は言った。
『誰?』
『え?!』
『って、顔してる』
『いや、あのーー』
慌てふためいて言い訳も言えずにいると、彼はぷっと吹き出した。手の甲を口に当てて、肩を揺らしている。
『はは、悪い悪い。もしかして、新しく配属された営業事務の……葉山、さん?』
新しくと言っても、もう大分時が経っているのだけれど。冷静になればそんな突っ込みも出来たのかもしれないが、その時の私には何度も頷くことが精いっぱいの返事だった。
『一課の加賀見です。よろしく』
『かがみ……って』
どこかで聞いた名前だ、と思っていたら。
あのずっと謎の存在だった加賀見係長だと気付いた私は、思わず聞き返していた。
『ホンモノですか?!』
『俺のニセモノがいるの? 葉山さん、面白いこと言うな』
そう言って爽やかに笑った加賀見係長は壁の方へ歩いて行き、慣れた手付きで蛍光灯のスイッチを押した。
灯りが点くと、今まで見えていなかったものが見えてくる。感じていなかったことも感じるようになる。
スーツにうっすらストライプが入っていたこととか、灯りを点けたバッグを持っていない方の手にはロゴ入りの白いカップが握られていたこととか。
そのカップからは、コーヒーのいい香りが漂ってきたこととか。
ーー眠っていたオフィスに、やっと朝が来たように思えた。
・・・・・