初心な人質妻は愛に不器用なおっさん閣下に溺愛される、ときどき娘
 すると、オネルヴァが顔をあげ、こちらに気がついた。
 だからといって、さらに身を引いて隠れてしまえば、彼女に変に思われるだろう。
 仕方なく、堂々と窓の前に立つ。
 彼女は笑顔を向けて頭を下げると、エルシーに何やら話しかけている。するとエルシーも顔を向け、イグナーツの姿を確認すると右手をぶんぶんと元気よく振り始めた。
 イグナーツも釣られて、つい右手をひらひらと二回だけ振ったが、すぐに止める。
 エルシーはすぐに何かを見つけたようで、オネルヴァの手を引っ張りながら、庭の奥に向かおうとしている。
 オネルヴァは、もう一度イグナーツに頭を下げると、エルシーと共に庭の奥へと進んでいった。
 イグナーツは振った手を戻せずにいた。宙ぶらりんな位置にある右手をなんとか落ち着けたくて、束ねてあるカーテンを掴む。
 胸が苦しい。
 なぜこのように苦しいのかわからない。
 ドクンと、心臓が大きく震えたような気がした。
 この状況は、けしてよい状況とは言えない。
 身体の底からボコボコと音を立てて魔力が湧き出てくる前兆である。
「くっ……」
 苦しくなり胸元を押さえる。その波が引いたのを見計らい、イグナーツは荒々しく執務室の奥の部屋へと向かった。
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