初心な人質妻は愛に不器用なおっさん閣下に溺愛される、ときどき娘
「そうか。だったら、エルシーが食べるところを見てみたいな」
 イグナーツが穏やかに笑みを向けると、エルシーは困ったように口をへの字に曲げた。
 隣からオネルヴァが幾言か声をかける。するとエルシーは観念したのか、フォークにぷすっと付け合わせの人参をさした。少しの間、フォークに刺さっている人参を見つめていたが、勢いよく口の中に入れた。
 イグナーツは、ふっと笑みをこぼす。
「きちんと食べられたな」
 口をもごもごと動かしながらエルシーは頷き、そのままごくんと飲み込んだ。顔を大きくしかめた彼女は、小さな手でグラスを握りしめ、一気に水を飲み干した。
「やっぱり、お母さまのケーキのほうが美味しいです」
 がんばったわね、と言わんばかりの微笑みを、オネルヴァは浮かべている。
 そんな二人の様子を、イグナーツは黙って見つめていた。
 エルシーもオネルヴァを受け入れたが、オネルヴァもエルシーを受け入れている。イグナーツにとっては、それが意外でもあった。
 敵対させたいわけではないが、どことなくぎこちない二人を見せかけの家族にしていくのが自分の役目であると思っていたからだ。
 なんとなく役割がなくなったような、表現しがたい喪失感に襲われていた。
「お父さま。お父さまは、エルシーが人参を食べられるようになったら、エルシーの言うことをきいてくれると、お約束してました」
 子どもというのは、自分の都合のよいことはよく覚えているものだ。いや、都合が悪くても、勝手にいい方向に解釈しようとする。
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