初心な人質妻は愛に不器用なおっさん閣下に溺愛される、ときどき娘
 しばらく待つことにした。そう決めたら、力が抜けた。ここの生活に慣れてきたと思っていたが、やはりイグナーツの前では緊張するようだ。
 ふぅと静かに息を吐く。部屋はしんと静まり返り、彼のいる気配はしない。
 だからこそ、変な物音に気がついたのだ。
「……くっ……。うぅ……」
 オネルヴァははっとして周囲を見回した。何か呻くような声が聞こえてきた。
「旦那様?」
 不安になり、イグナーツを呼んでみるが返事はない。だが、苦しそうな声は聞こえてくる。
 誰の声なのか。
「くっ……」
 どこから聞こえるのか。
 オネルヴァはもう一度大きく部屋を見回した。化粧漆喰の壁に金の刺繍が施されているこの部屋は、なんら珍しい部屋でもない。人が隠れるような場所もない。あるとしたら、大きな執務席の下あたりだろうか。
 さらに視線を動かすと、隣の部屋へと続く白い扉が目に入った。扉はきちんと閉められておらず、少しだけ開いていた。ぴっちりと閉められていたら、室内の壁と同化していただろう。
「旦那様?」
 立ち上がったオネルヴァは、扉にゆっくりと近づく。近づけば近づくほど、苦しそうな声が鮮明に聞こえてくる。
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