千燈花〜ETERNAL LOVE〜
橘宮では、
「小帆、燈花様を見た?」
都の外れにある市から戻ってきた小彩が買い集めた食材を竈の横の棚に丁寧に置きながら、小帆に聞いた。
「燈花様でございますか?午後からはお姿を見ておりません、てっきり小彩様と出かけたとばかり思っておりましたが、ご一緒ではなかったのですか?」
小帆は竈からひょいと顔を出し額の汗を袖で拭きながら答えた。
「そんな…」
小彩は何かを察知したのか厨房を飛び出し東門へと走った。
「小彩様、どうされたのですか?」
東門の横にある小さな小屋の前で藁を編んでいた漢人が驚いたように立ち上がると息を切らせている小彩に聞いた。
「…と、燈花様を見た?」
「いえ、午後からお姿を見ておりません…」
「どうしよう…もうすぐ日が暮れるというのに…」
ちょうど庭から出てきた六鯨も二人の様子に気づきやってきて言った。
「どうしたのだ?」
「それが、燈花様がどこにもいらっしゃらないのです」
「燈花様なら午後馬に乗り出かけていったぞ。どこに行くのか聞いたが、すぐに戻るから心配ないと言って、そのまま行ってしまわれたのだ。暗い表情に見えたがまだお戻りでないのか…」
六鯨は困った顔でう〜んと唸り下を向いた。
「確かに最近の燈花様は元気がないように見えます。何か気を揉むことでもあるのでしょうか?」
漢人が心配げに言うと、
「……もしや、またあの池に…」
小彩が独り言のように呟いた。
「池?どこの池だ?」
「…深田池です」
小彩が小さな声で答えた。
「深田池か…でも、もう日暮れだぞ」
「燈花がどうしたのだ?」
背後からの突然の声に驚き振り返ると、門の入り口前に山代王が立っていた。
「や、や、山代王様…」
六鯨が幽霊でも見たかのようにへたへたとその場にしゃがみこんだ。
「燈花と言ったな、はっきりとこの耳で聞いたぞ。今どこにいるのだ?」
山代王が険しい顔で言った。彼が握りしめている手巾を見て小彩は観念したのか小さな声で答えた。
「恐らく、深田池かと…」
「ふ、深田池だと?」
山代王は眉をひそめたあと、再び馬にまたがり風のように屋敷を飛び出した。
そろそろ戻らないと、すっかり考えこんでしまった…考えたところで解決などしないのに…。
西の空は美しい茜色にそまり、東の空は緋色に染まっている。秋の草むらから鈴虫の優しい音色が聞こえ心地良かった。美しい夕暮れの空を見ながら中宮を想った。飛鳥の都に戻りもう数か月経っているがどう過ごすべきなのかわからない…自分の未来さえもわからないのに、中宮の想いを果たすことができるだろうか…その真意さえもまだわからないのに…。
ゆらゆらと水面に映る自分の姿をじっと見つめていた。一瞬水面に人影が映った気がしたが、気のせいだろうと思い小石をつかみ投げようとした瞬間、水鳥が一斉に空へと飛び立った。直後に人の気配を背後に感じた。
誰かがいる…おそるおそる立ち上がりゆっくり振り返った。目の前に山代王が静かに立っていた。大人の男になった山代王だ。麻布の上に深紫色の絹の薄い衣を羽織り、頭には細かい装飾が施された金の冠を乗せている。幻でも見ているのだろうか…一瞬で時が止まった。
…ま、まさか…こんな事が…
全身の力が抜けその場に崩れ落ちた。突然の出来事に頭の中は真っ白になり何も考えられない。それとも夢でも見ているのだろうか…。
「と、燈花…」
山代王は静かに私の前に立つと肩に手をかけ立ち上がらせたが、私は顔を上げられなかった。山代王は黙ったままうつむく私の体を強く抱き寄せ言った。
「燈花、そなた夢ではないな…」
十三年前と変わらない優しい声だ…
「や、山代王様…」
山代王はしばらく私を抱きしめたあと、感慨深げに見つめ言った。
「そなた、何も変わっておらぬ。なぜ、急に私のもとから去ったのだ…」
山代王の目に涙が溢れた。真っすぐな澄んだ瞳は昔と一つも変わらない。
「山代王様、これには訳が…」
「何も言わなくていい…こうして私のもとに戻ったのだ。もう二度とどこにも行かせまい…」
山代王はもう一度強く私を抱きしめた。
日はすっかり落ち月明かりだけが池の水面と私達を照らしていた。
「宮に戻ろう…」
山代王は先に馬の背に乗ると私の手を掴み引き上げ彼の前に座らせた。
「私の馬が…」
「大丈夫、後で誰かに取りにこさせる」
「はっ!」
暗闇の中、私達を乗せた馬は橘宮に向かってゆっくりと走り出した。
「小帆、燈花様を見た?」
都の外れにある市から戻ってきた小彩が買い集めた食材を竈の横の棚に丁寧に置きながら、小帆に聞いた。
「燈花様でございますか?午後からはお姿を見ておりません、てっきり小彩様と出かけたとばかり思っておりましたが、ご一緒ではなかったのですか?」
小帆は竈からひょいと顔を出し額の汗を袖で拭きながら答えた。
「そんな…」
小彩は何かを察知したのか厨房を飛び出し東門へと走った。
「小彩様、どうされたのですか?」
東門の横にある小さな小屋の前で藁を編んでいた漢人が驚いたように立ち上がると息を切らせている小彩に聞いた。
「…と、燈花様を見た?」
「いえ、午後からお姿を見ておりません…」
「どうしよう…もうすぐ日が暮れるというのに…」
ちょうど庭から出てきた六鯨も二人の様子に気づきやってきて言った。
「どうしたのだ?」
「それが、燈花様がどこにもいらっしゃらないのです」
「燈花様なら午後馬に乗り出かけていったぞ。どこに行くのか聞いたが、すぐに戻るから心配ないと言って、そのまま行ってしまわれたのだ。暗い表情に見えたがまだお戻りでないのか…」
六鯨は困った顔でう〜んと唸り下を向いた。
「確かに最近の燈花様は元気がないように見えます。何か気を揉むことでもあるのでしょうか?」
漢人が心配げに言うと、
「……もしや、またあの池に…」
小彩が独り言のように呟いた。
「池?どこの池だ?」
「…深田池です」
小彩が小さな声で答えた。
「深田池か…でも、もう日暮れだぞ」
「燈花がどうしたのだ?」
背後からの突然の声に驚き振り返ると、門の入り口前に山代王が立っていた。
「や、や、山代王様…」
六鯨が幽霊でも見たかのようにへたへたとその場にしゃがみこんだ。
「燈花と言ったな、はっきりとこの耳で聞いたぞ。今どこにいるのだ?」
山代王が険しい顔で言った。彼が握りしめている手巾を見て小彩は観念したのか小さな声で答えた。
「恐らく、深田池かと…」
「ふ、深田池だと?」
山代王は眉をひそめたあと、再び馬にまたがり風のように屋敷を飛び出した。
そろそろ戻らないと、すっかり考えこんでしまった…考えたところで解決などしないのに…。
西の空は美しい茜色にそまり、東の空は緋色に染まっている。秋の草むらから鈴虫の優しい音色が聞こえ心地良かった。美しい夕暮れの空を見ながら中宮を想った。飛鳥の都に戻りもう数か月経っているがどう過ごすべきなのかわからない…自分の未来さえもわからないのに、中宮の想いを果たすことができるだろうか…その真意さえもまだわからないのに…。
ゆらゆらと水面に映る自分の姿をじっと見つめていた。一瞬水面に人影が映った気がしたが、気のせいだろうと思い小石をつかみ投げようとした瞬間、水鳥が一斉に空へと飛び立った。直後に人の気配を背後に感じた。
誰かがいる…おそるおそる立ち上がりゆっくり振り返った。目の前に山代王が静かに立っていた。大人の男になった山代王だ。麻布の上に深紫色の絹の薄い衣を羽織り、頭には細かい装飾が施された金の冠を乗せている。幻でも見ているのだろうか…一瞬で時が止まった。
…ま、まさか…こんな事が…
全身の力が抜けその場に崩れ落ちた。突然の出来事に頭の中は真っ白になり何も考えられない。それとも夢でも見ているのだろうか…。
「と、燈花…」
山代王は静かに私の前に立つと肩に手をかけ立ち上がらせたが、私は顔を上げられなかった。山代王は黙ったままうつむく私の体を強く抱き寄せ言った。
「燈花、そなた夢ではないな…」
十三年前と変わらない優しい声だ…
「や、山代王様…」
山代王はしばらく私を抱きしめたあと、感慨深げに見つめ言った。
「そなた、何も変わっておらぬ。なぜ、急に私のもとから去ったのだ…」
山代王の目に涙が溢れた。真っすぐな澄んだ瞳は昔と一つも変わらない。
「山代王様、これには訳が…」
「何も言わなくていい…こうして私のもとに戻ったのだ。もう二度とどこにも行かせまい…」
山代王はもう一度強く私を抱きしめた。
日はすっかり落ち月明かりだけが池の水面と私達を照らしていた。
「宮に戻ろう…」
山代王は先に馬の背に乗ると私の手を掴み引き上げ彼の前に座らせた。
「私の馬が…」
「大丈夫、後で誰かに取りにこさせる」
「はっ!」
暗闇の中、私達を乗せた馬は橘宮に向かってゆっくりと走り出した。