千燈花〜ETERNAL LOVE〜
宮を出る直前に小彩が小さな梨をいくつか持たせてくれた。飛鳥川は数日続いた雨で水かさが増しゴウゴウと勢いよく水しぶきを上げ流れている。川沿いの土手も土がぬかるみ歩きづらい。苑池を横目に通り過ぎ少しすると槻木の広場に出た。
山代王と一緒に何周も馬を走らせた記憶が一気によみがえった。つい一年ほど前の出来事だが、色々あったせいかとても遠い昔のように感じる。
広場を囲むように植えられた柳の葉が秋風に吹かれゆらゆらと揺れている。広場は飛鳥寺の西側に隣接していて、五重塔がすぐ真横にそびえ立っている。壁の向こう側は更に回廊で囲まれていて詳しい中の様子は見えないが、瓦屋根からして五重塔の西、北、東側に金堂があることがわかる。中を覗いてみたい好奇心を抑え再び歩きはじめた。
小彩が教えてくれたとおり、広場の北西側の端に何棟かの藁葺小屋が見えた。十三年前の記憶ではあそこに小屋などなかったと思いながらも足早に向かった。一番大きな小屋の前に着いた時、ちょうど中から白い麻布を着た小太りの男が出てきた。白い頭巾のようなものを頭に被っている。目が合ったので慌てて挨拶をした。
「あの、こちらの小屋が朝廷の薬草庫ですか?」
「さようでございますが、あなた様は?…」
「はい、橘宮より参りましたものです。本日よりこの薬草…」
「燈花様でございますか?」
男は私の言葉が終わらないうちに返した。
「えぇ」
「大変失礼いたしました。北上之宮の冬韻様よりお話を伺っております。まさかこんなに朝早くからお見えになるとは知らなかったものですから…私はこの薬草庫の責任者の玖麻と申します。どうぞ中にお入り下さい」
玖麻は丁寧に頭を下げながら言うと、どうぞ小屋の中へという風に手招きをした。私は聞こえるか聞こえないか位の小さな声ではい、と言い案内されるがままに小屋の中へと入った。
小屋の中の空気は藁が含んだ雨の匂いと薬草の香りが入り混じり湿った感じだ。この独特なくすんだ匂いが鼻を突いた。私は玖麻に失礼のないように自然な素振りで軽く鼻を押さえたあと小屋の中をまじまじと見渡した。
小屋の中は外から見るよりも断然広い。壁一面には沢山の小さな木箱がサイズごとに分けられ天井近くまで綺麗に積み重なっている。ひとつひとつの箱には薬草名が墨で書かれていた。遣唐使や商人らが運ぶ大唐からの生薬も多くあり、中には現在も使用されている薬草もいくつかあり驚いた。
一つ一つの棚から薬草を取り出し夢中になって確認していると、後ろで黙って立ってこの様子を見ていた玖麻がコホンと一度咳払いをし小声で話し始めた。
「お話は冬韻様より伺っております。我が家は代々大王家に仕えておりますので、決して他言はいたしません。ご存知だとは思いますが、田村皇子様のご病状が悪いため、ほとんどの医官が厩坂宮に常駐しております。何人かの医官と医女はこちらで働いてはおりますが、常駐しているわけではないので王様もきっと足を運び易いかと…」
さすが冬韻だ。完璧な根回しに驚いた。
「燈花様は薬草学の心得があると聞いております。人手不足な為このような時にお手伝いいただけるとは大変ありがたいことでございます」
玖麻はそう言うと、隣の小屋の中も案内してくれた。ひとしきりの説明を受け終わった時にはすっかり午後になっていた。
「燈花様、すっかり昼を過ぎてしまいました。本日はご説明だけで特別にすることもありませんので、どうぞご帰宅ください」
玖麻は一礼をし、また別の奥まった所にある小屋へと歩いて行った。
山代王と一緒に何周も馬を走らせた記憶が一気によみがえった。つい一年ほど前の出来事だが、色々あったせいかとても遠い昔のように感じる。
広場を囲むように植えられた柳の葉が秋風に吹かれゆらゆらと揺れている。広場は飛鳥寺の西側に隣接していて、五重塔がすぐ真横にそびえ立っている。壁の向こう側は更に回廊で囲まれていて詳しい中の様子は見えないが、瓦屋根からして五重塔の西、北、東側に金堂があることがわかる。中を覗いてみたい好奇心を抑え再び歩きはじめた。
小彩が教えてくれたとおり、広場の北西側の端に何棟かの藁葺小屋が見えた。十三年前の記憶ではあそこに小屋などなかったと思いながらも足早に向かった。一番大きな小屋の前に着いた時、ちょうど中から白い麻布を着た小太りの男が出てきた。白い頭巾のようなものを頭に被っている。目が合ったので慌てて挨拶をした。
「あの、こちらの小屋が朝廷の薬草庫ですか?」
「さようでございますが、あなた様は?…」
「はい、橘宮より参りましたものです。本日よりこの薬草…」
「燈花様でございますか?」
男は私の言葉が終わらないうちに返した。
「えぇ」
「大変失礼いたしました。北上之宮の冬韻様よりお話を伺っております。まさかこんなに朝早くからお見えになるとは知らなかったものですから…私はこの薬草庫の責任者の玖麻と申します。どうぞ中にお入り下さい」
玖麻は丁寧に頭を下げながら言うと、どうぞ小屋の中へという風に手招きをした。私は聞こえるか聞こえないか位の小さな声ではい、と言い案内されるがままに小屋の中へと入った。
小屋の中の空気は藁が含んだ雨の匂いと薬草の香りが入り混じり湿った感じだ。この独特なくすんだ匂いが鼻を突いた。私は玖麻に失礼のないように自然な素振りで軽く鼻を押さえたあと小屋の中をまじまじと見渡した。
小屋の中は外から見るよりも断然広い。壁一面には沢山の小さな木箱がサイズごとに分けられ天井近くまで綺麗に積み重なっている。ひとつひとつの箱には薬草名が墨で書かれていた。遣唐使や商人らが運ぶ大唐からの生薬も多くあり、中には現在も使用されている薬草もいくつかあり驚いた。
一つ一つの棚から薬草を取り出し夢中になって確認していると、後ろで黙って立ってこの様子を見ていた玖麻がコホンと一度咳払いをし小声で話し始めた。
「お話は冬韻様より伺っております。我が家は代々大王家に仕えておりますので、決して他言はいたしません。ご存知だとは思いますが、田村皇子様のご病状が悪いため、ほとんどの医官が厩坂宮に常駐しております。何人かの医官と医女はこちらで働いてはおりますが、常駐しているわけではないので王様もきっと足を運び易いかと…」
さすが冬韻だ。完璧な根回しに驚いた。
「燈花様は薬草学の心得があると聞いております。人手不足な為このような時にお手伝いいただけるとは大変ありがたいことでございます」
玖麻はそう言うと、隣の小屋の中も案内してくれた。ひとしきりの説明を受け終わった時にはすっかり午後になっていた。
「燈花様、すっかり昼を過ぎてしまいました。本日はご説明だけで特別にすることもありませんので、どうぞご帰宅ください」
玖麻は一礼をし、また別の奥まった所にある小屋へと歩いて行った。