千燈花〜ETERNAL LOVE〜
雲に隠れゆく時
薬草庫での仕事が始まり、おそらく一か月近くになると思う。特に患者を診れるわけではないので、医官や医女の簡単な手伝いをしていた。毎日のルーティンは入荷される薬草の仕分けと、薬草をもらいに来る人の用途にあったものを処方する位の簡単な作業だ。
薬草の知識は多少はあるが効能や活用方法などの詳しい事はわからない。玖麻がいる時には一日中彼につきまとい、色々と教えてもらっていた。玖麻は私が働きすぎる事を嫌がったが、時間も忘れて夢中になるには薬草を学ぶのは最高の時間の使い方だった。
一ヶ月前に会って以来、山代王はまだこの薬草庫に来ていない。
きっと忙しいのだろう、期待しない方が楽なので淡々と一日を過ごし時間が過ぎるのを待っていた。最初のうちは目を輝かせながら近況を尋ねてきた小彩も私の期待はずれな返事が続いたせいか、あれこれ聞いてこなくなった。いつもと変わらぬ一日を終え部屋に戻り寝台に寝転がった。
コンコン。部屋の戸が鳴った。
「燈花様、入ってもかまいませんか?」
「もちろんよ」
小彩は部屋に入ってくると、神妙な顔つきで話し始めた。
「実は今日、厩坂宮で働く医女に市でばったり会ったのです。立ち話でしたので詳しくは聞いてないのですが、どうやら、先日行われた百済大寺でのご病気回復祈願のかいもなく、田村皇子様の病状がまた悪化されているようなのです…」
私は返答に困り、そう、とだけ答えた。へたに未来を知っているのも酷な事だ。何もできないもどかしさが本当に心苦しい。
ここ最近、胸騒ぎを感じよく眠れない。なぜこんなに気持ちがざわつくのだろう…山代王に会えない不安からだろうか?それとも先の見えない未来に対してだろうか?
相変わらず朝はあっという間にやってくる。いつも通り支度を済ませて薬草庫へ向かった。毎朝のルーティンを済ませたあと薬棚の整理をしていると外から叫び声が聞こえてきた。
「助けて下さい!助けてください!」
小屋の外に出てみると一人の年老いた男が小屋の前の地べたに横たわっている。彼を運んできたであろう数人の男たちが心配そうに周りを囲み男の様子を見ている。
私が急いで駆け寄ると、隣にいた息子らしき若い男が青ざめた顔で言った。
「櫓の上で作業をしていて突然崩れて一緒に下まで落ちたんです!すぐに診てください」
若い男が早口で叫びながら言った。
「まずは落ち着いて、まだ医官が来ていないのよ、私では適切な処置ができないわ」
朝早い時間ということもあり、どの医官も来ていなかった。とはいえ、年老いた男は胸を両手で押さえうーん、うーんと苦しそうにうなっている。しかも転落時に足首を骨折したらしく、足首が大きく赤く腫れている。私は動揺している若い男を落ち着かせるように言った。
「とにかく小屋の中の寝台に運んでちょうだい。私は痛み止めの薬草を調合してくるから。もう少しで医官が来るからそれまでの辛抱よ」
ちょうどこの時、広場の奥から若い医官が歩いてくるのが見えた。私は早くこちらへという風に大きく手を振り彼を呼んだ。若い医官は状況を察したのか走ってくるとすぐに慣れた手つきで処置を始めた。ひとしきり応急処置を終えると年老いた男も安心したのか、調合した薬草を飲みすぐに眠りについた。若い医官にお礼を言うと、命に別状はないが数日後にもう一度来るようにと言い残し小屋から出て行った。
「命に別条がなくて良かったわ」
私はほっと胸をなでおろした。
「ありがとうございました」
息子らしき若い男が頭を軽く下げた。
「どこの櫓から落ちたの?」
「……」
なぜか若い男は黙ったまま答えない。隠す理由など何もないだろうと不思議に思ったが、それ以上深くは追及しなかった。医療の発達していない古代では軽い怪我さえも命取りになる。細心の注意を払いながら生きなければならない。しつこいようだか私はもう一度念を押すように言った。
「気を付けないと、今回は骨折ですんだけど、内臓を痛めてしまっては命が危ういわ」
「…普段は田畑を耕すだけの農民ですので、危ないことはいたしません。ご心配なく…」
若い男が遠慮がちに答えた。
「農民?なぜ農民が危険な仕事を?」
「……」
若い男は横たわる父親を見つめまた黙りこんでしまった。しばらく眠ると父親は目覚め、若い男に支えられながら家に帰っていった。その日を皮切りに連日のように怪我人が運びこまれるようになった。
薬草の知識は多少はあるが効能や活用方法などの詳しい事はわからない。玖麻がいる時には一日中彼につきまとい、色々と教えてもらっていた。玖麻は私が働きすぎる事を嫌がったが、時間も忘れて夢中になるには薬草を学ぶのは最高の時間の使い方だった。
一ヶ月前に会って以来、山代王はまだこの薬草庫に来ていない。
きっと忙しいのだろう、期待しない方が楽なので淡々と一日を過ごし時間が過ぎるのを待っていた。最初のうちは目を輝かせながら近況を尋ねてきた小彩も私の期待はずれな返事が続いたせいか、あれこれ聞いてこなくなった。いつもと変わらぬ一日を終え部屋に戻り寝台に寝転がった。
コンコン。部屋の戸が鳴った。
「燈花様、入ってもかまいませんか?」
「もちろんよ」
小彩は部屋に入ってくると、神妙な顔つきで話し始めた。
「実は今日、厩坂宮で働く医女に市でばったり会ったのです。立ち話でしたので詳しくは聞いてないのですが、どうやら、先日行われた百済大寺でのご病気回復祈願のかいもなく、田村皇子様の病状がまた悪化されているようなのです…」
私は返答に困り、そう、とだけ答えた。へたに未来を知っているのも酷な事だ。何もできないもどかしさが本当に心苦しい。
ここ最近、胸騒ぎを感じよく眠れない。なぜこんなに気持ちがざわつくのだろう…山代王に会えない不安からだろうか?それとも先の見えない未来に対してだろうか?
相変わらず朝はあっという間にやってくる。いつも通り支度を済ませて薬草庫へ向かった。毎朝のルーティンを済ませたあと薬棚の整理をしていると外から叫び声が聞こえてきた。
「助けて下さい!助けてください!」
小屋の外に出てみると一人の年老いた男が小屋の前の地べたに横たわっている。彼を運んできたであろう数人の男たちが心配そうに周りを囲み男の様子を見ている。
私が急いで駆け寄ると、隣にいた息子らしき若い男が青ざめた顔で言った。
「櫓の上で作業をしていて突然崩れて一緒に下まで落ちたんです!すぐに診てください」
若い男が早口で叫びながら言った。
「まずは落ち着いて、まだ医官が来ていないのよ、私では適切な処置ができないわ」
朝早い時間ということもあり、どの医官も来ていなかった。とはいえ、年老いた男は胸を両手で押さえうーん、うーんと苦しそうにうなっている。しかも転落時に足首を骨折したらしく、足首が大きく赤く腫れている。私は動揺している若い男を落ち着かせるように言った。
「とにかく小屋の中の寝台に運んでちょうだい。私は痛み止めの薬草を調合してくるから。もう少しで医官が来るからそれまでの辛抱よ」
ちょうどこの時、広場の奥から若い医官が歩いてくるのが見えた。私は早くこちらへという風に大きく手を振り彼を呼んだ。若い医官は状況を察したのか走ってくるとすぐに慣れた手つきで処置を始めた。ひとしきり応急処置を終えると年老いた男も安心したのか、調合した薬草を飲みすぐに眠りについた。若い医官にお礼を言うと、命に別状はないが数日後にもう一度来るようにと言い残し小屋から出て行った。
「命に別条がなくて良かったわ」
私はほっと胸をなでおろした。
「ありがとうございました」
息子らしき若い男が頭を軽く下げた。
「どこの櫓から落ちたの?」
「……」
なぜか若い男は黙ったまま答えない。隠す理由など何もないだろうと不思議に思ったが、それ以上深くは追及しなかった。医療の発達していない古代では軽い怪我さえも命取りになる。細心の注意を払いながら生きなければならない。しつこいようだか私はもう一度念を押すように言った。
「気を付けないと、今回は骨折ですんだけど、内臓を痛めてしまっては命が危ういわ」
「…普段は田畑を耕すだけの農民ですので、危ないことはいたしません。ご心配なく…」
若い男が遠慮がちに答えた。
「農民?なぜ農民が危険な仕事を?」
「……」
若い男は横たわる父親を見つめまた黙りこんでしまった。しばらく眠ると父親は目覚め、若い男に支えられながら家に帰っていった。その日を皮切りに連日のように怪我人が運びこまれるようになった。