千燈花〜ETERNAL LOVE〜
「玖麻様、なぜ毎日、怪我人が運び込まれてくるのですか?ただでさえ医官が少ないのに…原因をご存知ですか?」
私は少しイライラとした口調で玖麻に尋ねた。連日の怪我人で疲労がたまっていたのもある。
「…ふーむ、恐らく…、皆、甘樫丘の麓で働く農民たちでありましょう…」
「甘樫丘ですか?」
「はい…なんでも豊浦大臣の命で、甘樫丘の東方側に武器庫を早急に建てていると聞きました」
「豊浦大臣様ですか⁈」
私が大声で叫ぶと、玖麻は慌てて指を口にあて言った。
「燈花様、お声が大きいです」
「でもなぜこのような時に武器庫が必要なのですか?」
我慢できず呆れ声を上げ、玖麻を見た。玖麻もため息をつくと困ったように答えた。
「私も詳細はわかりませんが、だいぶお急ぎのようで蘇我家の私兵だけでは足りぬ為、都の兵や農民までも借り出していると聞きました。誰も断われませんので農民は慣れぬ仕事に怪我を負うのでしょう…」
「そんな…」
こんなに連日怪我人をだされてしまったら、ただでさえ医官が少ないのに手当が追いつかない。そのうち命を落としてしまう人も出てしまう、蘇我一族の傍若無人な振る舞いに一気に怒りの感情が沸き起こった。
「玖麻様、少し暇をいただいてもいいですか?甘樫丘はここからすぐ近くですし一度現場を見てまいります」
事の成り行きを察したのか、すかさず玖麻が答えた。
「燈花様、豊浦大臣に逆らってはなりません。朝廷を裏で牛耳る重鎮のお方です。。誰一人逆らえぬゆえ、このような事態になっているのです」
玖麻が必死で私を引き留めるように言った。
「心配はいりません、作業の様子を確認してくるだけでございます。無茶はいたしません」
私は冷静にそう言うと最後の怪我人の手当てを済ませ甘樫丘へと向かった。
甘樫丘は飛鳥川西岸に位置し標高も高くない丘陵だ。確かこの丘の中腹と麓に蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと歴史書で読んだ事がある。
自分達を天皇一族だとでも勘違いしているのだろうか?そんな怒りの感情を持ちつつ飛鳥川沿いを歩いた。
しばらくすると遠くからカンカンと何かを叩く音が聞こえてきた。前方に数名の男達の姿が見える。その側には大きな大木を担いでいる男達の姿もある。皆よろよろとした足どりで今にも倒れそうだ。遠くからだが男達のやつれた顔や疲労の様子がわかった。
そのまま山の裏側に沿って歩くと少し進んだ林の中に大きな武器庫らしき櫓が二つ並んでいるのが見えた。隣には鍬や鋤や弓矢と槍が山積みに置かれている。玖麻が言っていた事は本当なのだと思い、私は手をぎゅっと握りなおした。
「医女様、お待ちください。医女様!」
誰かに呼び止められ振り返ると、見覚えのある若い男が立っていた。数日前に怪我をして薬草庫に運ばれてきた老人の息子だ。
「あ、あの時の…」
「はい、先日父を診ていただいたものです。あの時はお世話になりました」
「お父様の具合はどう?」
「はい、胸の痛みもだいぶひき容態は安定しておりますが、足首も骨折しているので回復するには時間がかかりそうです…」
「そうね、無理は禁物よ。ゆっくり養生してちょうだい」
「はい、でもなぜこんな場所にいらっしゃるのですか?医女様のようなお方が来る所ではございません。木を伐採しており危険ですのでお戻りください」
「大丈夫よ、心配ないわ。何を建てているのか気になってしまって…所でこの現場の責任者は豊浦大臣だと聞いたのだけど…お屋敷が近くにあるのでしょう?もし出来ればお会いしたいのだけど…」
若い男は急に顔を曇らせて小声で言った。
「…確かに命を出されたのは豊浦大臣様ですが、この現場を仕切っておられるのは子息の林臣様です…なれどお会いするのは…」
「林臣様が?」
「さ、さようでございます。ご存知なのですか?」
「えぇ、少しだけね…」
「さようでございますか。今日たまたまお見えになっているのです。丁度今この丘の頂上におられるかと…」
「そうなの?…ありがとう。では、せっかくだから林臣様に会ってゆくわ。この丘は女人禁制ではないはね?」
「違いますが、裏側からですと木々で薄暗くお足元が悪いかと…」
「大丈夫よ、以前に何度か登ったことがあるわ」
「えっ⁈以前にですか?」
しまった!と思い両手で口を押えた。若い男は目をパチパチさせ驚いた表情で私を見ている。
「いえ、以前にも別の山に登った事があるから、山登りは得意なのよ」
「さようでございますか…低い丘ですが、途中蛇などもおりますので、十分気を付けてください」
「ありがとう」
私がそう言うと、若い男は軽く会釈をして、櫓の方へと戻っていった。蛇は怖いけど以前にも登った事があるしきっと大丈夫…林臣様なら少しは話しやすい相手だし…。
私はゆっくりと山道を登り登り始めた。