千燈花〜ETERNAL LOVE〜
 秋はすっかり深まり空から木の葉がはらはらと落ちてきている。飛鳥での秋はこれが二度目だ。時折立ち止まっては風の中を舞う木の葉を眺めた。もう三十分近く登っているだろうか、当然なのだが、舗装されていない山道は想像以上に歩きづらい。息が上がったところでようやく目の前が開け、木々の隙間から眼下に飛鳥の都と集落が見えた。

 ふぅ、着いた…疲れた…膝に手をあて体をかがめた時だ。ビュンと鋭い音が耳元をかすめていった。驚いて顔を上げると十メートルくらい先に林臣(りんしん)が弓をこちらに向け構えている。

 「キャーッ」

 思わず甲高い声をあげその場にしゃがみ込んだ。

 「動くな!!」

 掛け声と同時にまたビュンと大きな音が耳元をかすめボトッと鈍い音が背後から聞こえた。飛んで来た矢がどこに当たったのかわからず頭の中はパニックだ。心臓はドクドクと大きく脈打ち自分が生きているのかどうかもわからない。
 
 とにかく体に痛みがない事を確認したあと深呼吸をし落ち着かせた。呼吸が整い恐る恐る後ろを振り返ると、すぐ後ろにある切り株の上に大きな蛇が横たわっている。まだ動いてはいるものの矢は頭と胴体の境目を見事に貫通していた。

 全身の力が抜け起き上がれない。手で体を支えるのがやっとだ。前からガサガサと足音が近づき林臣(りんしん)の両手がひょいっと私の体を持ち上げた。

 「な、何⁈」

 驚いて叫んだが林臣(りんしん)は何食わぬ顔で、

 「別の蛇の餌食になるか?」

 と言い、私を抱え少し離れた見通しのよい広い場所へとうつった。林臣(りんしん)が地面に向け雑に手を離したので私は勢いよく尻もちをついた。私は彼を睨んだあと、ちょっと!と大声で言った。でも、彼に会うのは実に久しぶりだ。

 「なぜここにいる?」

 いつも通りの冷めた口調だ。朝の蓮を一度見たくらいで調子に乗るなと冷たい目が言っているようだ。私は服に着いた土を払いながら立ち上がった。

 「女人のくる場所ではないぞ」

 「…林臣(りんしん)様がこの丘の頂上におられると聞いたので、お会いして…」

 「会う理由など何もないが…」

 私は自分で言うのもなんだが、元来穏やかな性格だ。でも彼の言葉はいつもどこか棘がありカチンと来る。いつも上から目線なのだ。こちらが下手に出ているからって…。
 私の怒りは再燃したが、この感情を表に出したら負けだと思いキッと林臣(りんしん)を見たあと淡々と言った。

 「では、率直に申し上げます。数日前よりこの甘樫丘(あまかしのおか)の麓から何人もの怪我人が薬草庫に運ばれてきております。今は田村皇子(たむらのみこ)様のご容態も良くないうえ、ほとんどの医官や医女が都におりません。限られた人員のなか手一杯なのです。ゆえに、この丘での作業は早急に取りやめて頂きたいのです」

 林臣(りんしん)が黙ったまま北西の方角を指さし言った。

 「……そなた、あの真っすぐ横に伸びる大道が見えるか?」

 林臣(りんしん)の指さした先に幅の広い道が真横に延びている。きっとこの時代に整備された横大路の道だろう。私はうなずいた。

 「では、あの大道の先にあるものはなんだ?」

 「斑鳩宮(いかるがのみや)でございますが?」

 「もっと西だ」

 林臣(りんしん)は横大路が続く道の遠い先を見つめたままだ。


 「更に西に進んだ所に難波宮(なんばのみや)がある。そのまた先は何がある?」

 「……」

 返答に困っていると、林臣(りんしん)はようやく振り返り私を見て言った。

 「海を越えればすぐに朝鮮三国、百済、新羅、高句麗がある。今はまだ均衡を保っているが常に互いの国に攻め入る隙を見計らっている。更にその先にあるのは…大唐だ。その昔500年も戦に明け暮れていた大国だ。その者たちが本気でこの国を攻め入れば赤子の首をひねるようなもの、わが国の武力ではなんの太刀打ちもできぬ。あっという間に領土は奪われ、虐殺が始まる。そうなったら、誰が一体この国を守るのだ?今にも命の灯がこと切れそうな帝がこの朝廷と都と民を守るのか?」

 考えてもみなかった…私利私欲の為ばかりだと思っていた…そうだった…すっかり忘れていたが今は朝鮮三国と大唐が睨み合う戦国の世……いつこの国だって攻められてもおかしくないんだった…。

 「今、この国の防御を固めずにいつやるのだ?何人怪我人が出ても構わぬ。替えはいくらでもいるからな」

 「……」

 何も言い返せない。彼は朝鮮三国と背後にある大唐の脅威を知り尽くしている。大国との力関係をしっかりと把握し冷静に未来を見据えている。井の中の蛙では想像も出来ない世界を彼は知っているのだ。認めたくはないが彼は外交のプロだ。

 「わかったのなら、すぐに立ち去れ。次は助けぬぞ」

 林臣(りんしん)はそう言うと、その場を去った。夕方の西日がいつものように眼下に広がる都を美しく照らしている。

 この国の基盤がつくられ始めた最初の時代にいたんだった…侵略された史実はないと分かっていたから危機感など微塵もなかった…。

 そんな事を考えながらとぼとぼと山道を下った。下山中、大蛇に襲われた事などすっかり忘れていた。
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