千燈花〜ETERNAL LOVE〜
薬草庫に戻ると、珍しく怪我人の姿は見えず中は静まりかえっていた。
「燈花様、お戻りですか?」
玖麻が薬棚の脇からひょっこり顔を出した。
「えぇ、人手が足りないのに抜け出してしまってごめんなさい…」
「いえ、大丈夫です。見ての通り何故か本日は患者が全く居ないのです。今のうちにと思い、薬棚の整理をしていたところです」
玖麻が顔についたホコリを払いながら笑って答えた。
「良かった…」
「燈花様、顔色が優れぬようですが甘樫丘でなにかあったのでございますか?まさか、豊浦大臣様に咎められたのですか⁈」
玖麻が困惑した顔で言った。
「ち、違うのです!久しぶりにあの丘に登ったので少し疲れました…」
私は苦笑いをして答えた。
「さようでございますか…、間もなく夕方になりますしもうお屋敷にお戻りください。明日からまた怪我人が何人運ばれてくるかもわかりませんし、休めるうちにお休みください」
「玖麻様も帰られますか?」
私が尋ねると、
「私はせっかくの機会ですので、薬棚の整理を終わらせてから、帰宅いたします」
と言い、手に持った籠の中をガサガサといじり始めた。
「私も手伝います。二人の方が早く終わりますよね?」
「ええ⁈そんな、困ります。私一人で出来ますので…」
私は玖麻の返事などお構いなしで台の上に積まれた籠を取り薬草の選別を始めた。玖麻はいつものように困った顔をしたあと頭をかき、作業に戻った。
「玖麻様、この生薬は見慣れぬものだけど、どこにしまえばいいですか?」
「あ、それらはその薬棚の奥にもう一つ小さな棚があるのです。少し変わった珍しい生薬ですので、そこに置いておいてください」
玖麻が言った。
「大丈夫、自分で調べてしまいます」
いつも使っている薬棚の奥にもう一つ小振りの小棚があるのが見えた。きっとあの棚だ。ガタガタと棚の間をすり抜けながら奥まで進んだ。
小棚の上には丈夫な作りの小箱がいくつか綺麗に並んで置かれていた。初めて見る小箱だ。中を開けると更に布で包まれた生薬が厳重に保管されていた。
私は一つ一つの包みを丁寧に広げ中の生薬を確認し始めた。どれも珍しい形や色をしていて尚且つ独特な香りだ。一番下の小箱には薬草が入っていた。包みを広げた瞬間に独特の香りが鼻を突いた。でもどこかで嗅いだことがある香りだ。この特徴のある香りはなかなか忘れることは出来ない。どこだっただろう?
確かにどこかで嗅いだのになかなか思い出せない。過去の記憶を必死でたどった。
…そうだ、あの時の薬だ…間違いない。足首を骨折した時に使った塗薬だ。この塗り薬のおかげで驚くほど早く腫れが引いたのだ。
私は興味津々で部屋の隅で作業している玖麻に尋ねた。
「玖麻様、お聞きしたいのですがこの薬草ですがこのあたりでも採取は可能ですか?骨折などの鎮痛や消炎にとても効能があるようなのですが…」
「どれどれ…」
と言って玖麻はやってくると薬草を手に取り興味深く眺めたあと、草の匂いをクンクンと嗅いだ。
「あっ!これは、新羅から取り寄せた大変希少な薬草です。全ての怪我や病に万能であると聞いた事がございます、残念ながら我が国では手に入りません。良かった…そんなところにしまってあったとは、あまりにも希少な薬草だったので、厳重にしまったのですがそのあとにどこに保管したのかわからなくなってしまい…探していたのです」
玖麻が面目なさそうに言うと頭をポリポリとかいた。
「そんなに貴重な薬草なのですか⁈」
「さようでございます。新羅でしか採れぬ薬草ですが大唐の商人を通し取り寄せるので入手が大変困難なのです。一般庶民では一生使うことのない薬です」
「そう…」
「燈花様、まさかお使いになられたことがあるのですか?」
「えぇまぁ…これは朝廷で取り寄せたものですか?」
私が答えると、玖麻は目を丸くし言った。
「いえ、それが違うのです。数か月前に嶋宮より早急に取り寄せてほしいと要求がありました…確か、巨勢様からの注文でしたが運よく大唐から来ていた商人が偶然持ち合わせていたんです。私物だったようで出し渋りましたが相当な高値で交渉し手に入れたのです。こう言ってはなんですが、巨勢様が買える代物ではございません、恐らく背後で林臣様が所望されたのでしょう」
「…林臣様が…そう…」
怪我をした時、この薬の事を小彩に一度尋ねたことがあった。その時は朝廷の医官から支給されたものだと言っていたのだ。きっと彼女もこの希少な薬の出どころまでは知らなかったのだろう。
まさか、林臣様がこんな希少な薬を用意してくださったなんて知らなかった…。
体中から一気に力が抜けた。林臣様が何を考えている人間なのか全くわからない…歴史書からは悪役の烙印を押された一族だけれど、どうしてもそんなに冷酷非道な人間だとは思えない…
その時、ゴーンゴーンと飛鳥寺から大きな鐘の音が聞こえてきた。急いで外にでてみると、五重塔の一番上に内官らしき男が白い旗を振っているのが見えた。
「た、田村皇子様がお亡くなりになった…」
後から出てきた玖麻が背後でぼそりと言った。
「えっ⁈」
私は振り返り聞き直した。
「あの白旗の意味はなんなのですか?」
玖麻はその場にへたへたとしゃがみこむと目に涙を浮かべ大声で泣き出した。
「田村皇子様がお亡くなりになられたのです…」
「そ、そんな…」
鐘が鳴り続ける中、広い槻木広場の片隅にいつまでも立ち尽くしていた。