千燈花〜ETERNAL LOVE〜
その日から薬草庫に行くことはなく、橘宮で喪に服す日々が始まった。活気のあった都は行きかう人もまばらでシーンとしている。一般の民から朝廷の大臣まで田村皇子である舒明天皇の崩御を偲び心を寄せていた。気づくと木の葉はすっかりと落ち北風がピューピューと寂しい音をたてていた。
「燈花様、田村皇子様が崩御されてからしばらくたちますが、こんな時に不謹慎かもしれませんが山代王様から何かご連絡はあったのですか?」
小彩はもう耐えられなかったのだろう。意を決したように聞いてきた。
「うんん、何もないわよ。殯の儀で忙しいはず。私のことどころではないわ…」
「燈花様…」
「大丈夫よ、きっとまた連絡をくださるはず。今はまだまだ喪に服す時よ」
気丈に言ったものの小彩は今にも泣き出しそうだ。私が不憫に思えて仕方なかったのだろう。私は苦笑いした後、美味しい粥を作って欲しいとわがままを言っておどけて見せた。
しはらくして飛鳥の都はすっかり冬を迎えた。山の落ち葉が北風に乗ってどんよりとした空を舞っている。今朝は特に寒い、薄暗い雲から初雪の音が聞こえそうだ。寒さでかじかむ手に息を吹きかけながら厨房の竈に火を起こしていた。小彩がすごい勢いで飛び込んで来た。
「燈花様!お見えになられました。急いで中庭に来てください!」
「え?誰が来たの?まだ朝よ、火を丁度起こしていて…」
「それどころではありません」
小彩は私の手から薪を取り上げ床に置くと厨房から強い力で引っ張り出した。私は体のバランスを崩してあわや転倒しそうだった。
「ちょ、ちょっと」
「山代王様がお見えになっているのです」
「え⁉︎」
「山代王様が庭でお待ちになっているのです」
はっきりと大きな声で小彩が言った。あまりにも突然の来訪に心臓は飛び上がり緊張で足はかくかくとし上手く歩くことができない。なんとか小彩に支えられながら庭に向かった。
いつぶりだろう…頬が少しやつれた山代王がこちらを向いて立っていた。
「や、山代王様…」
山代王は私の側まで走り寄ると私の体を強く抱きしめた。
「すまない、だいぶ遅くなってしまった…」
「山代王様…」
朝の冷気の中、急いで馬を走らせてきたのだろう。彼の体は冷たく冷え切っている。
「すぐに温かい茶をご用意いたしますので、まずはお部屋にお入りください」
「そうしよう」
私が山代王を部屋へ案内すると、中はすでに暖かく囲炉裏の火がパチパチと勢いよく燃えていた。小彩が用意してくれた桂花茶の甘い香りが部屋中に漂っていた。
「良い香りだ」
山代王はふうっと息をひとかけし熱いお茶に口をつけた。
「長い間なんの連絡もせずすまなかった…とにかく身動きが取れずにいたのだ…許してほしい」
山代王が真っ直ぐな瞳で言った。
「当然のことでございます。山代王様は皇族にとっても朝廷にとっても民にとっても尊いお方です。私のような人間をいちいち気にかける必要はありません」
「何をいうのだ、私がどれほどそなたに会いたかったか…」
山代王は優しく私の手を取った。
「今日は冬韻様はご一緒ではないのですか?」
「はは…実は一人夜明けを見計らい屋敷を抜け出してきたのだ。ゆえに長居はできない。ただ、そななたに伝えたいことがあり参った」
山代王は私をじっと見つめて言った。
「この先少なくとも数か月は殯の期間となり、公の祝いの儀式はできぬ。だが恐らく文月あたりには婚姻の許可は降りるはずだ。その前に私の後宮に移り住み王妃のもとで側室としての準備をしてほしい。来年の晩秋には誰からの反対もなく正式にそなたを娶りたいのだ…」
突然の山代王からの言葉に驚き、頭の中が真っ白になった…二度目の婚約だ…
「気が進まぬか?」
「いえっ、そんな事はございません。あまりに突然の嬉しいお話に気が動転してしまい…」
「そなたとこれ以上離れ離れで暮らすのは耐えられない。本当ならばすぐにでも入宮させ私の近くに置いておきたい」
「山代王様…」
「そなたも私と同じ気持ちでいてくれていると信じているが、どうであろう?今の気持ちを聞かせ欲しい。私に嫁いでくれるか?」
私は静かにうなずいた。
「良かった、私の生きる希望だ。来月からまた、薬草庫の仕事に復帰してほしい。朝廷に出向いた時には必ず会いにいくゆえ」
「わかりました」
山代王は立ち上がると再び私を抱きしめ屋敷へと帰って行った。
山代王が去るとすぐに小彩が部屋へと入ってきた。そわそわと落ち着かない様子だ。私は彼女を寝台の横に座らせ全ての話を伝えた。
「まぁなんと…こんな時ではございますが、言わせてください。燈花様おめでとうございます。何があってもやはりお二人は強い絆で結ばれておられるのです」
小彩が目に涙を浮かべて言った。
「ありがとう。これが私の運命、突き進まなくてはならぬ道なのね…」
私は自分自身を奮い立たせるように言った。
「燈花様、王様に嫁げるなんてこの国の女人にとっては夢のまた夢のお話です。最高に贅沢で華麗な世界で生きてゆけるのです。しかも山代王様のご寵愛のもとで裕福に暮らせるなんて、これ以上の女人の幸せな一生はありません」
さっきまで涙を浮かべていた小彩は一変し興奮し話し始めた。そんな彼女に大袈裟すぎると私は笑った。
「だって、燈花様の長年の想いが報われるのですからこんなに嬉しいことはありません。今日の夕飯はごちそうを作ります!」
「駄目よ、このことはまだ一部の側近にしかお話になっていないはず。しかも今は先帝の喪中の真っ只中よ。山代王様が公にするまでは私とあなたの二人だけの秘密にしましょう」
「そうでございますね。それにしても本当に嬉しくて嬉しくて…すぐにでも誰かにお話ししたいくらいです」
小彩が満面の笑みを見せた。
私達はまた熱い桂花茶を入れなおし話を始めた。外はどんよりとした空から、はらはらと雪が降り始めていた。