千燈花〜ETERNAL LOVE〜
会話のない時間は長く、何度も背筋を伸ばして道の先を見た。橘宮の三重塔が見えるところまで来ると、なぜか門へと続く坂の下に大勢の人だかりが見えた。しかも朝廷に勤める役人と甲冑で武装した数人の隼人の姿も見える。
一体何事だろうか?人だかりの近くまで来ると、私の姿に気づいた小彩が両手を大きく振り東門を飛び出した。小彩は人だかりを押しのけながらこちらに向かってきている。私も急いで馬を降り群衆をくぐり抜けながら彼女の方へと向かった。
「燈花様!はぁはぁ急いで…」
「ちょっと、どうしたのよ!何があったの?…」
私は息を切らしている小彩の手を握った。
「や、山代王様が…お見えなのです」
「え?今、なんて…」
「燈花…」
恐る恐る顔を上げ声の方向を向くと目の前に深紫の絹の衣に身を包んだ山代王とその隣に朝廷の大臣らしき男が立っていた。
大臣らしき男は濃青の衣を羽織り腰には象牙の笏がささっている事から地位が高い事が分かった。さらに男のすぐ後ろにはツユクサのような明るい薄青色の衣を着た若い官吏が立ち、手にはぐるぐると紐で巻かれた紙を持っていた。
「や、山代王様…」
全身から力が抜けるのがわかった。
「燈花!」
山代王はよろける私を力強く抱きとめ言った。
「随分と遅くなってしまい、すまなかった…」
山代王の隣に立っていた大臣らしき男は私達の目の前に立つと、後ろの若い官吏から手渡された紙を広げコホンと咳払いをし言った。
「そなたが橘宮の宮女の燈花であるか?」
「はい…」
「先帝の残した勅旨が本日有効になった為、山代王様にせかされ急ぎ届けに参ったのだ。先帝の命により、そなたの王族入りを認める。北上之宮の後宮入りの許可を申し渡す。婚儀は神無月に挙げるものとする。五日後に後宮入りの輿をよこすゆえ、準備をしておくように。謹んで受けられよ、良いな」
「は、…はい」
突然の通達に手と足がガクガクと震え始めた。
「山代王様、私共はこれにて失礼いたします」
大臣らしき男と若い官吏の男は一礼すると周辺の警護に当たらせていた隼人らを引き上げ帰っていった。それに伴い見物で溢れていた人だかりもなくなり、坂の下はいつもどおりガランと静かになった。
薄暗い空からぽつぽつと小雨が降り出した。突如足首の痛みを思い出し、その場にうずくまった。山代王は心配げに私を覗き込んだあと、私を抱き上げ屋敷の門へと歩き出した。私は呆然としたまま山代王の横顔を見つめていた。
やっとこの日が来た…
彼の腕の中で温かな体温を感じ頭がボーっとしている。夢の中にいるようだ。
東門をくぐる時、坂の下に雨の中一人佇む林臣の姿を一瞬見た気がした。今日のお礼を言ってなかったと思い少し胸が痛んだが、また次の機会に伝えれば良いと思った。
部屋に戻ると、小彩がすぐに温かい桂花茶を運んでくれた。夏でも雨が降ると飛鳥は少し冷える。
「燈花突然の事で驚いただろう?やっと先帝の勅旨が有効になったので、急ぎ迎えに来たのだ。各、宮や大臣屋敷には事前に通達しておいたのだが、そなたの驚く顔が見たくて内緒にしていた。随分と長く待たせてしまい、すまなかった」
山代王が優しく私の手を握った。相変わらず穏やかで優しい眼差しだ。
「毎日そなたの事を思っていたのだ、これで堂々と毎日会う事ができる」
「はい、私もとても嬉しいです。この日をずっと夢見ていたので…」
山代王は微笑むと静かに私の横に座り直し肩に手を置き体を引き寄せた。
「あと五日後に、私の宮の者が迎えに来るゆえ入宮の準備をしておいておくれ」
私は黙って頷いた。
「私の宮のすぐ近くに後宮がある、向こう数か月は王妃より後宮での生活の規律を学ぶことになるだろうが、そなたのように賢い者であればすぐに習得できよう。秋には正式に婚儀を上げ私の側室になるのだ。楽しみでしかたがない」
山代王が私を優しく抱きしめた。彼から微かに香る沈香が更に夢見ごこちを加速させた。いつまでもこうしていたい…ふっと我に返り気がかりだった事を尋ねた。
「…山代王様、小彩も一緒に来てもかまいませんか?」
「うむ…後宮において、全ての権限は王妃にあるのだ。宮には代々専属の采女たちがいて、幼少期より後宮に仕えている。ゆえに小彩を側に置くのは難しかろう…すまぬな」
山代王が申し訳なさそうに謝った。覚悟はしていたが、あと数日で小彩とも橘宮の皆とも別れると思うと急に現実味がわき寂しさで胸がいっぱいになった。こんな調子ではすぐにホームシックになりそうだ。
「なれど、後宮には必要なものは全て揃っているし、そなたに合う衣もすぐに新調いたそう。そなたが不便を感じるような事は何もないはず。最初は戸惑うかもしれないが、宮の生活にもすぐに慣れよう。私が必ずそなたを守り力になるゆえ安心してほしい」
「はい」
私が頷くと山代王は安心したのか嬉しそうに微笑み私の頬に手を当て顔を近づけた。温かな唇の感触と共に、昔もこうして結婚の約束をした事を思い出した。彼のまっすぐな澄んだ瞳は、昔と変わらず純粋であどけない少年のようだ。やはり彼は何も変わっていない。彼と共に生きていく事が未来に続く道なのだろう…その過程できっと中宮の意図がわかるはず。
私達の間に静かで穏やかな時間が流れた。山代王が帰ると小彩がいつものように部屋に飛び込んできた。
「燈花様、おめでとうございます!!心よりお祝い申し上げます。私もこの上ない幸せな気持ちでございます。本当に燈花様の想いが届いて良かった…」
興奮していた小彩が子供のように声を上げて泣き始めた。長い間本当に彼女には支えてもらい実の姉妹のような絆で結ばれていた。
「泣かないで小彩、あなたがいつも支えてくれたから、ここまでこられたのよ。あなたの助けなしでは今の私はいないわ…」
震える彼女の肩を抱きしめた。賢い彼女だ、きっと今後について察しているに違いない。だからこそ溢れる喜びと悲しみの両方の感情に挟まれ複雑な心境なのだろう…。
一緒にいられるのもあと数日だと再び実感すると涙がとめどなく溢れた。本当にこの慣れ親しんだ橘宮を離れる事が出来るのだろうか…。
めでたいはずの夜なのに私達は夜通し泣いた。
一体何事だろうか?人だかりの近くまで来ると、私の姿に気づいた小彩が両手を大きく振り東門を飛び出した。小彩は人だかりを押しのけながらこちらに向かってきている。私も急いで馬を降り群衆をくぐり抜けながら彼女の方へと向かった。
「燈花様!はぁはぁ急いで…」
「ちょっと、どうしたのよ!何があったの?…」
私は息を切らしている小彩の手を握った。
「や、山代王様が…お見えなのです」
「え?今、なんて…」
「燈花…」
恐る恐る顔を上げ声の方向を向くと目の前に深紫の絹の衣に身を包んだ山代王とその隣に朝廷の大臣らしき男が立っていた。
大臣らしき男は濃青の衣を羽織り腰には象牙の笏がささっている事から地位が高い事が分かった。さらに男のすぐ後ろにはツユクサのような明るい薄青色の衣を着た若い官吏が立ち、手にはぐるぐると紐で巻かれた紙を持っていた。
「や、山代王様…」
全身から力が抜けるのがわかった。
「燈花!」
山代王はよろける私を力強く抱きとめ言った。
「随分と遅くなってしまい、すまなかった…」
山代王の隣に立っていた大臣らしき男は私達の目の前に立つと、後ろの若い官吏から手渡された紙を広げコホンと咳払いをし言った。
「そなたが橘宮の宮女の燈花であるか?」
「はい…」
「先帝の残した勅旨が本日有効になった為、山代王様にせかされ急ぎ届けに参ったのだ。先帝の命により、そなたの王族入りを認める。北上之宮の後宮入りの許可を申し渡す。婚儀は神無月に挙げるものとする。五日後に後宮入りの輿をよこすゆえ、準備をしておくように。謹んで受けられよ、良いな」
「は、…はい」
突然の通達に手と足がガクガクと震え始めた。
「山代王様、私共はこれにて失礼いたします」
大臣らしき男と若い官吏の男は一礼すると周辺の警護に当たらせていた隼人らを引き上げ帰っていった。それに伴い見物で溢れていた人だかりもなくなり、坂の下はいつもどおりガランと静かになった。
薄暗い空からぽつぽつと小雨が降り出した。突如足首の痛みを思い出し、その場にうずくまった。山代王は心配げに私を覗き込んだあと、私を抱き上げ屋敷の門へと歩き出した。私は呆然としたまま山代王の横顔を見つめていた。
やっとこの日が来た…
彼の腕の中で温かな体温を感じ頭がボーっとしている。夢の中にいるようだ。
東門をくぐる時、坂の下に雨の中一人佇む林臣の姿を一瞬見た気がした。今日のお礼を言ってなかったと思い少し胸が痛んだが、また次の機会に伝えれば良いと思った。
部屋に戻ると、小彩がすぐに温かい桂花茶を運んでくれた。夏でも雨が降ると飛鳥は少し冷える。
「燈花突然の事で驚いただろう?やっと先帝の勅旨が有効になったので、急ぎ迎えに来たのだ。各、宮や大臣屋敷には事前に通達しておいたのだが、そなたの驚く顔が見たくて内緒にしていた。随分と長く待たせてしまい、すまなかった」
山代王が優しく私の手を握った。相変わらず穏やかで優しい眼差しだ。
「毎日そなたの事を思っていたのだ、これで堂々と毎日会う事ができる」
「はい、私もとても嬉しいです。この日をずっと夢見ていたので…」
山代王は微笑むと静かに私の横に座り直し肩に手を置き体を引き寄せた。
「あと五日後に、私の宮の者が迎えに来るゆえ入宮の準備をしておいておくれ」
私は黙って頷いた。
「私の宮のすぐ近くに後宮がある、向こう数か月は王妃より後宮での生活の規律を学ぶことになるだろうが、そなたのように賢い者であればすぐに習得できよう。秋には正式に婚儀を上げ私の側室になるのだ。楽しみでしかたがない」
山代王が私を優しく抱きしめた。彼から微かに香る沈香が更に夢見ごこちを加速させた。いつまでもこうしていたい…ふっと我に返り気がかりだった事を尋ねた。
「…山代王様、小彩も一緒に来てもかまいませんか?」
「うむ…後宮において、全ての権限は王妃にあるのだ。宮には代々専属の采女たちがいて、幼少期より後宮に仕えている。ゆえに小彩を側に置くのは難しかろう…すまぬな」
山代王が申し訳なさそうに謝った。覚悟はしていたが、あと数日で小彩とも橘宮の皆とも別れると思うと急に現実味がわき寂しさで胸がいっぱいになった。こんな調子ではすぐにホームシックになりそうだ。
「なれど、後宮には必要なものは全て揃っているし、そなたに合う衣もすぐに新調いたそう。そなたが不便を感じるような事は何もないはず。最初は戸惑うかもしれないが、宮の生活にもすぐに慣れよう。私が必ずそなたを守り力になるゆえ安心してほしい」
「はい」
私が頷くと山代王は安心したのか嬉しそうに微笑み私の頬に手を当て顔を近づけた。温かな唇の感触と共に、昔もこうして結婚の約束をした事を思い出した。彼のまっすぐな澄んだ瞳は、昔と変わらず純粋であどけない少年のようだ。やはり彼は何も変わっていない。彼と共に生きていく事が未来に続く道なのだろう…その過程できっと中宮の意図がわかるはず。
私達の間に静かで穏やかな時間が流れた。山代王が帰ると小彩がいつものように部屋に飛び込んできた。
「燈花様、おめでとうございます!!心よりお祝い申し上げます。私もこの上ない幸せな気持ちでございます。本当に燈花様の想いが届いて良かった…」
興奮していた小彩が子供のように声を上げて泣き始めた。長い間本当に彼女には支えてもらい実の姉妹のような絆で結ばれていた。
「泣かないで小彩、あなたがいつも支えてくれたから、ここまでこられたのよ。あなたの助けなしでは今の私はいないわ…」
震える彼女の肩を抱きしめた。賢い彼女だ、きっと今後について察しているに違いない。だからこそ溢れる喜びと悲しみの両方の感情に挟まれ複雑な心境なのだろう…。
一緒にいられるのもあと数日だと再び実感すると涙がとめどなく溢れた。本当にこの慣れ親しんだ橘宮を離れる事が出来るのだろうか…。
めでたいはずの夜なのに私達は夜通し泣いた。