千燈花〜ETERNAL LOVE〜
それにしても談山神社で会った中大兄皇子はまだあどけない少年だったが、鎌足は薄黒い肌をし体格も良く物々しい雰囲気で近寄りがたかった。それ以降、都の中でも町外れの市でも二人を見ていない。
二人がこの飛鳥にいるという事は…今は西暦何年なのだろう?ふと疑問がよぎった。確かなのは田村皇子こと舒明天皇が去年崩御されている事だ。そこから考えると恐らく今年は西暦642年くらいだろうか。
このまま運命の流れに身を任せるつもりではいるが、もし本当に日本書紀が偽りのない正確な史書だとすると643年に斑鳩宮で山背大兄王が蘇我入鹿によって自害に追い込まれる…。入鹿は林臣様の事だろうと察しがつくが、山背大兄王はまだ誰なのか把握出来ていない。ただその人物は斑鳩宮に居を構えているはずだから山代王とは別人なはず…
でもなぜだろう…心臓を誰かに鷲掴みさているような気分だ。考えただけで胸が苦しくなる。本当にそのような悲惨な出来事が起こるのだろうか?万が一事実ならばそれを見届けなければいけないのだろうか?
だとしたら、運命はなんて残酷な仕打ちを私にするのだろう…
「燈花様?…燈花様??…燈花様!!」
ガシャーン!!
小彩の呼ぶ声に驚き握っていた湯呑を地面に落とした。
「た、大変!!と、燈花様、大丈夫ですか⁈お怪我はございませんか⁈」
小彩の顔がみるみる青くなった。
「だ、大丈夫よ、考え事をしていて…本当に大丈夫だから…」
小彩は何度も頭を下げたあと、布巾を取りに厨房へと走り去った。私は再び腰かけると、中宮との深田池での最後の夜を思い出していた。
あの夜、確かに彼女は私に何かの願いを託した。それが未だに何についてなのかわからないが、それを解決したらもとの現代に戻るのだろうか?そうなったら長い夢を見ていたと、いつしか全ての事を忘れてしまうのだろうか?
「燈花様!!布巾をお持ちしました。火傷はしていませんか?申し訳ありません、明後日には後宮に向かわれるというのに、私としたことが…山代王様にあわせる顔がありません…」
小彩の眉は八の字に下がり今にも泣き出しそうだ。彼女の少しだけ大袈裟な振る舞いも心配性の性格も見納めだと思うと寂しさが込み上げ、湯呑を割ってしまった事などどうでもよかった。
「大丈夫よ、考え事をしていてあなたの声に全然気が付かなかった私が悪いのよ」
「と、燈花様…」
小彩がシクシクと泣き始めた。
「と、燈花様はお優しすぎます…どうか後宮に入られたのちには、ご自身の事だけをお考え下さい。もう宮女ではなく、この国の王族の一員になられるのですから下々の者に優しさは不要です。燈花様のその思慮深いお心がいつの日かご自身を苦しめてしまうのではと心配でなりません……」
「大丈夫よ、小彩。ちゃんとどう行動すべきなのかはわかっているわ。山代王様もお側にいらっしゃるし、何の心配もないわ」
「そうですが…不安なのです」
私はもう一度大丈夫よ、と言い彼女の震える体を抱きしめた。丁度その時、背後から六鯨の声が聞こえた。
「燈花様ここにおられましたか、ただ今、猪手様がおいでになられましたがどういたしますか?」
「猪手さんが?何かしら…すぐに行くわ」
私は小彩の涙を手巾で拭きもう一度慰めたあと急いで東門に向かった。門の向こうに猪手の姿が見えた。
「猪手さん、どうしたの?」
「燈花様、此度の山代王様とのご婚約、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます!」
猪手が深く頭を下げた。
「ありがとう。あらためて言われるとなんだか照れるわ」
「実は此度の燈花様入宮のお祝いをさせていただきたいのです。明日の夜、嶋宮でささやかですが宴を催す予定です。お越しいただけますか?」
猪手のいつにない仰々しい態度にとても違和感を覚えた。
「猪手さん、どうしたの?いつもと様子が違うけれど…」
「当然でございます、燈花様は間もなく入宮し高貴な王族の一員となられるのです。私とは身分が違いすぎます」
「な、何も変わらないわよ!」
私が驚きながら言うと隣にいた小彩が寂しそうに口を開いた。
「燈花様、猪手様の仰る通りです。この国の大王のご家族になられるのですから私共とは身分が天と地ほど違います」
「そ、そんな…」
猪手は私と小彩の両方の顔を気まずそうに見たあと、
「では、明日の夕刻にお迎えに参ります」
と言い再び深く頭を下げ去っていった。私が小彩をもう一度見ると、彼女は黙ったまま寂しそうにうなずいた。
こんな事想像もしていなかった。私は複雑な気分に胸がつかえそうになりながら猪手の遠くなる後ろ姿を見ていた。
二人がこの飛鳥にいるという事は…今は西暦何年なのだろう?ふと疑問がよぎった。確かなのは田村皇子こと舒明天皇が去年崩御されている事だ。そこから考えると恐らく今年は西暦642年くらいだろうか。
このまま運命の流れに身を任せるつもりではいるが、もし本当に日本書紀が偽りのない正確な史書だとすると643年に斑鳩宮で山背大兄王が蘇我入鹿によって自害に追い込まれる…。入鹿は林臣様の事だろうと察しがつくが、山背大兄王はまだ誰なのか把握出来ていない。ただその人物は斑鳩宮に居を構えているはずだから山代王とは別人なはず…
でもなぜだろう…心臓を誰かに鷲掴みさているような気分だ。考えただけで胸が苦しくなる。本当にそのような悲惨な出来事が起こるのだろうか?万が一事実ならばそれを見届けなければいけないのだろうか?
だとしたら、運命はなんて残酷な仕打ちを私にするのだろう…
「燈花様?…燈花様??…燈花様!!」
ガシャーン!!
小彩の呼ぶ声に驚き握っていた湯呑を地面に落とした。
「た、大変!!と、燈花様、大丈夫ですか⁈お怪我はございませんか⁈」
小彩の顔がみるみる青くなった。
「だ、大丈夫よ、考え事をしていて…本当に大丈夫だから…」
小彩は何度も頭を下げたあと、布巾を取りに厨房へと走り去った。私は再び腰かけると、中宮との深田池での最後の夜を思い出していた。
あの夜、確かに彼女は私に何かの願いを託した。それが未だに何についてなのかわからないが、それを解決したらもとの現代に戻るのだろうか?そうなったら長い夢を見ていたと、いつしか全ての事を忘れてしまうのだろうか?
「燈花様!!布巾をお持ちしました。火傷はしていませんか?申し訳ありません、明後日には後宮に向かわれるというのに、私としたことが…山代王様にあわせる顔がありません…」
小彩の眉は八の字に下がり今にも泣き出しそうだ。彼女の少しだけ大袈裟な振る舞いも心配性の性格も見納めだと思うと寂しさが込み上げ、湯呑を割ってしまった事などどうでもよかった。
「大丈夫よ、考え事をしていてあなたの声に全然気が付かなかった私が悪いのよ」
「と、燈花様…」
小彩がシクシクと泣き始めた。
「と、燈花様はお優しすぎます…どうか後宮に入られたのちには、ご自身の事だけをお考え下さい。もう宮女ではなく、この国の王族の一員になられるのですから下々の者に優しさは不要です。燈花様のその思慮深いお心がいつの日かご自身を苦しめてしまうのではと心配でなりません……」
「大丈夫よ、小彩。ちゃんとどう行動すべきなのかはわかっているわ。山代王様もお側にいらっしゃるし、何の心配もないわ」
「そうですが…不安なのです」
私はもう一度大丈夫よ、と言い彼女の震える体を抱きしめた。丁度その時、背後から六鯨の声が聞こえた。
「燈花様ここにおられましたか、ただ今、猪手様がおいでになられましたがどういたしますか?」
「猪手さんが?何かしら…すぐに行くわ」
私は小彩の涙を手巾で拭きもう一度慰めたあと急いで東門に向かった。門の向こうに猪手の姿が見えた。
「猪手さん、どうしたの?」
「燈花様、此度の山代王様とのご婚約、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます!」
猪手が深く頭を下げた。
「ありがとう。あらためて言われるとなんだか照れるわ」
「実は此度の燈花様入宮のお祝いをさせていただきたいのです。明日の夜、嶋宮でささやかですが宴を催す予定です。お越しいただけますか?」
猪手のいつにない仰々しい態度にとても違和感を覚えた。
「猪手さん、どうしたの?いつもと様子が違うけれど…」
「当然でございます、燈花様は間もなく入宮し高貴な王族の一員となられるのです。私とは身分が違いすぎます」
「な、何も変わらないわよ!」
私が驚きながら言うと隣にいた小彩が寂しそうに口を開いた。
「燈花様、猪手様の仰る通りです。この国の大王のご家族になられるのですから私共とは身分が天と地ほど違います」
「そ、そんな…」
猪手は私と小彩の両方の顔を気まずそうに見たあと、
「では、明日の夕刻にお迎えに参ります」
と言い再び深く頭を下げ去っていった。私が小彩をもう一度見ると、彼女は黙ったまま寂しそうにうなずいた。
こんな事想像もしていなかった。私は複雑な気分に胸がつかえそうになりながら猪手の遠くなる後ろ姿を見ていた。