千燈花〜ETERNAL LOVE〜
「燈花さま準備は整いましたか?」
戸口の向こうから小彩の呼ぶ声が聞こえる。
「今、行くわ」
侍女の衣の方が肌に馴染んで快適だった。私は急いで外に出ると、小彩のあとについて、昨日歩いたでこぼこの坂をよろよろと下りた。坂の下では昨日と同様一台の馬車が止まっていて、私達が乗り込むとすぐにガタガタと勢いよく進み始めた。
「小彩、先に宮殿に向かってくれる?中宮様のご様子を伺いたいわ」
「はい。でも、お会いできるかどうかわかりませんよ」
「ご無事かどうかだけでも確認したいのよ」
昨日とはうって変わり落ち着いている自分自身に驚いた。今日は馬車から飛鳥寺をじっくりと見る余裕もあった。小墾田宮に近づき、馬車がスピードを緩めると、突然男の叫び声が前から聞こえた。
「止まれ!!」
車輪がキキィィーーーと大きな音を立て、馬車が急停止した。何事かと思い、恐る恐る声が聞こえた方を見ると、一人の青年と従者らしき体格の良い数名の男達がこちらに向かい馬を走らせてくる。すぐ先に小墾田宮の立派な門が見えた。
男達はは宮の門の前で馬を止まらせると、ひらりと降り、訝し気にこちらを見た。先頭を歩く青年は年でいえば20代前半位であろうか、鋭い眼差しは知性に溢れ、目鼻立ちがはっきりとしていた。
浅紫の衣をきちっと羽織り長い髪は頭上できれいにまとめられ、緑の小さな石がいくつも散りばめられた、美しい簪が挿さっている。青年はチラリとこちらを見たあと、何も言わずに従者らしき男達を引き連れ、颯爽と宮の中へと入っていった。
「ビックリした~」
思わずそんな言葉が飛び出し、手で胸を押さえた。
「ビックり?」
小彩が目を丸くして、キョトンとして言った。
「あっ、とても驚いたわ、あんなに馬を上手に乗りこなす人を初めて見たから…」
「えっ?東国では馬は乗らぬのですか?」
「いえ乗るわ、みな馬に乗るわ」
冷静を装って言ったが、全てが見透かされてしまうのではと内心ヒヤヒヤだった。
「燈花様は実に面白いお方です」
小彩がクスッと笑った。
…仕方ないでしょ、時代が全然違うんだから。まぁ、そんな事話しても信じてくれないだろうし、頭の狂った危険人物扱いされてすぐに投獄されそうだわ…
心の中で思ったが、いつそんな日が来てもおかしくないと思うと、ゾッとした。
「それよりも小彩、さっきの青年はどちらの若君なの?随分と体格の良い男達を従えていたようだけれど…」
「シィーーー、燈花様、お声が大きいですよ!」
小彩は唇に指を当てながら顔をしかめた。
「燈花様、お言葉には十分お気をつけてください。あの方はとても高貴な身分のお方なんです。数年前に亡くなられた日十大王様のご子息の山代王様です」
「山代王様?」
「はい。私達のような宮中に仕える女官でさえも滅多にお話する機会はないのです。おそらく中宮様の具合が悪いと知り、ご様子を見にいらしたか、別件で参内してるか…詳しい事はわかりませが…」
小彩がそんな憶測をゴニョゴニョと話してくれている間、私の頭の中は完全にパニックだった。
山代王といえば、あまり聞かない名前だけど、確か父親が日十大王?そう、確か押坂彦人大兄皇子の事だった気がする。とにかく装いからしても、あの立派な簪にしても王族の可能性は高い。山背大兄王と名前が似てるけど、同一人物だらうか?でも、山背大兄王は聖徳太子の息子だもの、別人のはず…
「燈花様?燈花様!」
「は、はい!」
ハッと我に返り大きな声を出した。あまりにも夢中で考え込んでいたのか、度重なる小彩の呼び掛けも全く聞こえなかった。
「今、門番の男に聞いてまいりますので、こちらで少しお待ち下さい」
小彩は馬車を降りると門番の男の所へと向かいそのままその男と共に敷地の中へ入っていってしまった。しばらく待っても小彩はいっこうに戻ってこない。不安な気持ちでいると、また別の男が門の中から出てきた。男は馬車の近くまでくると、私を見て
「中庭までご案内いたします」
と、手を門の方へ向けた。
私は、少しためらいながらも馬車を降りると、男のあとに続いて宮の門をくぐった。敷地の中のどこを見ても小彩の姿はなかった。
敷地の奥の方で何かを焼いているのか白い煙が上がっているのが見え、西側の塀の向こう側には木で生い茂った小さな丘が見えた。
あれが雷丘だろうか?そんな疑問を抱いたまま、持っているだけの知識を懸命に手繰り寄せ、歴史の照合に躍起になった。簡単なことではないのに…
「ここでお待ち下さい」
男は庭の隅にある大きな石の前まで私を案内すると、お辞儀をしてそのままどこかへ行ってしまった。
一人残された私は、中庭の中央に生えた立派なイチョウの木を見つめた。黄色の葉が太陽の光に照らされ金色に輝いている。季節は秋で間違いないだろう。中庭の隅には他にも、薄水色のリンドウや、淡いピンク色をした小さな撫子の花が控え目にひっそりと咲いていた。
いつまでたっても小彩が戻って来ないので、無造作に置かれたであろう大石に腰掛けゴロンと横になった。大石の表面は平で滑らかで、大人一人寝転がるには十分な広さだった。
昼寝でもして待とうと空を見上げた。今日も秋の空は高く澄み渡っている。
山代王様、か…
気品のある横顔がパッと浮かび、静かに目を閉じた。
戸口の向こうから小彩の呼ぶ声が聞こえる。
「今、行くわ」
侍女の衣の方が肌に馴染んで快適だった。私は急いで外に出ると、小彩のあとについて、昨日歩いたでこぼこの坂をよろよろと下りた。坂の下では昨日と同様一台の馬車が止まっていて、私達が乗り込むとすぐにガタガタと勢いよく進み始めた。
「小彩、先に宮殿に向かってくれる?中宮様のご様子を伺いたいわ」
「はい。でも、お会いできるかどうかわかりませんよ」
「ご無事かどうかだけでも確認したいのよ」
昨日とはうって変わり落ち着いている自分自身に驚いた。今日は馬車から飛鳥寺をじっくりと見る余裕もあった。小墾田宮に近づき、馬車がスピードを緩めると、突然男の叫び声が前から聞こえた。
「止まれ!!」
車輪がキキィィーーーと大きな音を立て、馬車が急停止した。何事かと思い、恐る恐る声が聞こえた方を見ると、一人の青年と従者らしき体格の良い数名の男達がこちらに向かい馬を走らせてくる。すぐ先に小墾田宮の立派な門が見えた。
男達はは宮の門の前で馬を止まらせると、ひらりと降り、訝し気にこちらを見た。先頭を歩く青年は年でいえば20代前半位であろうか、鋭い眼差しは知性に溢れ、目鼻立ちがはっきりとしていた。
浅紫の衣をきちっと羽織り長い髪は頭上できれいにまとめられ、緑の小さな石がいくつも散りばめられた、美しい簪が挿さっている。青年はチラリとこちらを見たあと、何も言わずに従者らしき男達を引き連れ、颯爽と宮の中へと入っていった。
「ビックリした~」
思わずそんな言葉が飛び出し、手で胸を押さえた。
「ビックり?」
小彩が目を丸くして、キョトンとして言った。
「あっ、とても驚いたわ、あんなに馬を上手に乗りこなす人を初めて見たから…」
「えっ?東国では馬は乗らぬのですか?」
「いえ乗るわ、みな馬に乗るわ」
冷静を装って言ったが、全てが見透かされてしまうのではと内心ヒヤヒヤだった。
「燈花様は実に面白いお方です」
小彩がクスッと笑った。
…仕方ないでしょ、時代が全然違うんだから。まぁ、そんな事話しても信じてくれないだろうし、頭の狂った危険人物扱いされてすぐに投獄されそうだわ…
心の中で思ったが、いつそんな日が来てもおかしくないと思うと、ゾッとした。
「それよりも小彩、さっきの青年はどちらの若君なの?随分と体格の良い男達を従えていたようだけれど…」
「シィーーー、燈花様、お声が大きいですよ!」
小彩は唇に指を当てながら顔をしかめた。
「燈花様、お言葉には十分お気をつけてください。あの方はとても高貴な身分のお方なんです。数年前に亡くなられた日十大王様のご子息の山代王様です」
「山代王様?」
「はい。私達のような宮中に仕える女官でさえも滅多にお話する機会はないのです。おそらく中宮様の具合が悪いと知り、ご様子を見にいらしたか、別件で参内してるか…詳しい事はわかりませが…」
小彩がそんな憶測をゴニョゴニョと話してくれている間、私の頭の中は完全にパニックだった。
山代王といえば、あまり聞かない名前だけど、確か父親が日十大王?そう、確か押坂彦人大兄皇子の事だった気がする。とにかく装いからしても、あの立派な簪にしても王族の可能性は高い。山背大兄王と名前が似てるけど、同一人物だらうか?でも、山背大兄王は聖徳太子の息子だもの、別人のはず…
「燈花様?燈花様!」
「は、はい!」
ハッと我に返り大きな声を出した。あまりにも夢中で考え込んでいたのか、度重なる小彩の呼び掛けも全く聞こえなかった。
「今、門番の男に聞いてまいりますので、こちらで少しお待ち下さい」
小彩は馬車を降りると門番の男の所へと向かいそのままその男と共に敷地の中へ入っていってしまった。しばらく待っても小彩はいっこうに戻ってこない。不安な気持ちでいると、また別の男が門の中から出てきた。男は馬車の近くまでくると、私を見て
「中庭までご案内いたします」
と、手を門の方へ向けた。
私は、少しためらいながらも馬車を降りると、男のあとに続いて宮の門をくぐった。敷地の中のどこを見ても小彩の姿はなかった。
敷地の奥の方で何かを焼いているのか白い煙が上がっているのが見え、西側の塀の向こう側には木で生い茂った小さな丘が見えた。
あれが雷丘だろうか?そんな疑問を抱いたまま、持っているだけの知識を懸命に手繰り寄せ、歴史の照合に躍起になった。簡単なことではないのに…
「ここでお待ち下さい」
男は庭の隅にある大きな石の前まで私を案内すると、お辞儀をしてそのままどこかへ行ってしまった。
一人残された私は、中庭の中央に生えた立派なイチョウの木を見つめた。黄色の葉が太陽の光に照らされ金色に輝いている。季節は秋で間違いないだろう。中庭の隅には他にも、薄水色のリンドウや、淡いピンク色をした小さな撫子の花が控え目にひっそりと咲いていた。
いつまでたっても小彩が戻って来ないので、無造作に置かれたであろう大石に腰掛けゴロンと横になった。大石の表面は平で滑らかで、大人一人寝転がるには十分な広さだった。
昼寝でもして待とうと空を見上げた。今日も秋の空は高く澄み渡っている。
山代王様、か…
気品のある横顔がパッと浮かび、静かに目を閉じた。