千燈花〜ETERNAL LOVE〜
翌日の午後、私は小彩と王妃さまに会いに出かけた。昨日の事を思い出すと気が重かったが、早く誤解を解きたいと思った。なんのアポもなく王妃の屋敷を訪れたが、すんなり部屋へと通された。廊下は桂花茶の良い香りが漂っていた。
コンコン、コンコン、
侍女が静かに戸を叩いた。
「王妃さま、橘宮の燈花さまとその侍女が参りました」
「とおしなさい」
部屋の戸がスッと開き中へと入った。部屋の中は飾られた花の良い香りで充満している。
「王妃様に、拝謁いたします」
「よく、来たな」
王妃は嬉しそうに笑いながら迎え入れてくれた。
「ちょうど昨晩、大王とそなたのことを話していたのだ。さぁ、今、茶を持ってまいるゆえ、楽にしなさい」
あぁ、やっぱり…
一瞬心が沈んだが、今更引き返せない。王妃から指示された座布団に静かに座った。
先に言ってしまおう…
「あ、あの王妃さま、昨日の林での出来事なのですが…誤解がないようにと思いまして…その、、ご説明に参りました」
「何の話だ?」
たどたどしい私の言葉とは裏腹に王妃はきょとんとして聞き返した。
「えっ?その、昨日大王さまが私を助けて下さり…その大王さまはお優しくて勇敢な方なので、私のような卑しい身分の人間にも、寛大なお心で…」
「ハッハッハッ、燈花よ心配せずともよい。そなたの私を思いやる優しい心が、実に嬉しいぞ」
王妃が見た目の穏やかな印象よりもずっと豪快に笑ったので、一瞬あっけに取られたが、王妃のこの気さくな人柄と温厚で懐の広さがさらに彼女を気高く美しく見せているのだろうと、即座に悟った。
「王妃様…」
「そなたは何か誤解しているようだ。さぁ、茶が冷めぬうちに飲もう」
王妃は全てを見抜いているかのように言うと、中庭に面する戸を開け私達を縁側へと通した。茶器に注がれた桂花茶からほのかに金木犀の香りがしとても癒された。三人で茶を飲み始めた時、侍女が急足で部屋の中へと入ってきた。
「王妃様、大王様がお越しです』
「そうか、丁度良かった、お通ししなさい」
えっっ?大王が??
すぐにパタパタと廊下を歩く音が聞こえ、王妃は急いで立ち上がると戸口に向かい軽く頭を下げた。
「大王様、ようこそお越し下さいました」
うん、という低い声が聞こえ大王が部屋の中へと入ってきた。
「大王様に拝謁いたします」
急ぎ立ち上がり挨拶をした。連日のように会っているのにも関わらず会う度に緊張の度合いが増していく。しかも少し自分の顔が熱い気がして落ち着かなかった。
「三人で楽しい話でもしていたのか?」
「はい、女同士、話に花を咲かそうとしていた矢先でございます」
王妃が茶を注ぎながら微笑んだ。
「一体どんな話題の話をするのだ?私も聞いてみよう」
「それは、内緒でございます」
王妃は大王を見ると口元に笑みを浮かべながら、少し意地悪く言った。
「大王様、昨日は助けて下さりお礼を申し上げます。足の傷は痛みますか?」
「もうすっかり治ったぞ」
大王は笑いながら傷口に手を当て答えた。
「王妃よ、燈花と二人で中庭を少し散策したいのだが、構わぬか?」
「えっ…承知いたしました」
「すまぬな」
王妃はすぐに事情を飲み込んだのかすんなりと答え、小彩を見て言った。
「小彩、私の簪を一つそなたにあげるから、選びにゆきましょう」
「えっ、王妃様の簪でございますか⁈まことに良いのですか⁉︎」
「もちろんよ」
小彩は両手を胸の前で合わせ飛び跳ねながら王妃と共に別の部屋へと向かった。
大王と二人きりで散歩だなんて想定外であったし、とにかく気まずくてすぐにでもその場から逃げ出したかった。
黙って大王のあとについて歩き始めた。この日も温かな秋日和で優しいオレンジ色の午後の陽が庭に差し込んでいる。庭に植えられた山茶花の木は赤や薄紅色の花で満開だ。時折山から吹く冷たい風が、山茶花の花びらを空へと舞い上げた。
中庭を歩き始めてしばらく経つが、大王はいまだ何も話さない。沈黙が辛い…
庭の中央に来た時、大王はやっと立ち止まると静かに振り返った。
「燈花や、私に話す事があるであろう?」
大王があまりにも真っ直ぐな深い瞳で言ってきたので、思いきり顔を背けてしまった。一気に胸の鼓動が早くなった。
「…あの日、あの湯で私を救ってくれたのは、そなたであろう?」
汗で湿った両手をギュッと握りしめた。
「昨日そなたを受けとめた時に、首もとから翡翠の指輪が見えた。その指輪はあの湯の側で見つけたものだ。それと、この橘の手巾も…」
と言い私の手を取り手のひらに手巾を置いた。
ダメだ、、完全にバレている…
「も、申し訳ありません大王様。騙しているつもりなどはなかったのです。ただ…大変…不敬な事を致しましたので、名乗り出る勇気がなくて…どうかお許し下さい」
唾を呑み答えた。
「何を申すのだ、何故もっと早く言わぬのだ。そなたを罰するなど考えた事もない。むしろそなたは私の命の恩人だぞ」
「大王様…」
大王は突然私の肩をつかみ引き寄せるとそっと抱きしめた。
「茅渟王様⁉︎」
突然の事に驚いてしまい何故か大王ではなく、茅渟王様と呼んでしまった。
「茅渟王?久しく呼ばれていない。よい響きだ」
「だ、大王様、申し訳ありません」
「かまわぬ。そなたからそう呼ばれると実に心地が良い」
大王は更にギュッと私を抱きしめた。私の鼓動はさらに早まり、緊張で心臓が飛び出しそうだ。大王は少し間をおき静かに言った。
「もし…もし、そなたさえ良ければ、私の側室として迎えたいのだ」
そ、側室⁉︎本当だったんだ…
「茅渟王様…」
「すぐに返事はいらない。よく、考えておいてほしい」
そ、そんな…こんな展開、想像もしてなかった…どうしよう…体が震えて動かない。とても混乱していた。当然バレるとは思っていなかったし、まさか、誰かに、ましてやこの国の大王に抱きしめられるなんて予想もしていなかった…。
こんな心の動揺を表すかのように山から風が強く吹きはじめた。色とりどりの山茶花の花びらがあたり一面に舞い上がった。そして庭の隅に人影が一瞬見えたような気がした。
おかげさまで帰りの部屋までの記憶はない。体はふわふわとしているし同時に頭の中は花火がバンバンと打ち上がっているようで複雑だった。おぼつかない足取りでふらふらと部屋に戻り寝台にバタンと寝転がり目を閉じた。しばらく放心状態が続き、小彩に大王との中庭での出来事を話したのは夜遅くになってからだった。