千燈花〜ETERNAL LOVE〜

 「さ、ここで休みましょう」

 突如目の前が開けると東屋全体が見えた。更にその奥には巨大な小山と石の塊が見えた。下半分は土が盛ってあるが、上は平べったい大きな石の表面が剥き出しになっている。

   ここって、石舞台古墳じゃないの⁉︎

 一瞬で背筋は氷りつき体中が身震いした。この古墳には以前来たことがある。その巨大な石が横たわる圧巻の姿を今もしっかり思い出せる。間違いない、ここは石舞台古墳だ。しかも造営真っ只中の…

 「小彩(こさ)、ここってまさか、蘇我馬子(そがのうまこ)の…」

 「ここは昨年亡くなった大臣蘇我シマさまの桃原墓です」

 「シマ?」

  そういえば文献で読んだ事がある…シマって…確か、蘇我馬子(そがのうまこ)の呼び名よ

 「先ほど燈花(とうか)様が会われた、林臣(りんしん)様の御祖父さまです」

    「えっ!?えっっっっ⁉︎」

 思わず自分でも驚くほどの悲鳴に近い声を上げ心臓がドクンと強く脈打った。

 「そんなに驚くことですか⁉︎」

 「い、いいえ…もちろん驚いてなど…い、いないわ」

 一瞬でカラカラになった喉に唾をのみ込みながら答えたが、明らかに動揺しているのは伝わったと思う。嘘であってほしかった、まさか、林臣(りんしん)様が…蘇我入鹿(そがのいるか)だなんて…あの、極悪非道、残虐無慈悲な冷酷人間の蘇我入鹿(そがのいるか)…どうしよう…今更情けないが出来ることなら時を巻き戻したい…


  「はぁ…」

 深いため息がこぼれた。小彩(こさ)は不思議そうに私を見つめている。両手で顔をふさぎ空を仰いでいるとポツリ、ポツリと冷たいものを感じた。どんよりした薄暗い冬の空から雨が降り出した。

 「燈花(とうか)様、せっかくここまで来ましたがここの東屋では雨風をしのげません。あちらの母屋に移動しましょう」

 小彩(こさ)はほどいた荷を包み直しながら早口で言うと、少し先の緩い坂沿いにある母屋に向かって駆け出した。すぐに雨はサァーっと強くなり冷たい風も吹き始めた。

 東屋を出てクタクタの足を引きずりながら歩いていると、雨の中、少し脇道にそれた小道に黒い人影が見えた。笠を被っているし濃い霧雨の中では誰なのかよくわからないが…こちらに近づいて来る。遠目で見ても凛とした美しい歩き姿だ。

 すぐ近くまで来ると男は笠を上げこちらを見た、真っすぐな瞳と目が合った…

 そう…林臣(りんしん)こと蘇我入鹿(そがのいるか)だ。

 なんて日なのだろう…嘘であってほしい…また彼だ…

 一気に気分が沈んだ。


 今日一日で二度も会うなんて、ツイてなさすぎると思った。しかも蘇我入鹿(そがのいるか)と分かったとたん怖気づいたのか足がすくみ動けない。その場で立ちすくむしかなかった。今更、

  「これまでの私の無礼をお許し下さい!」

 などの命乞いなど出来ない…手遅れだ…しかも疲労とかじかむ寒さで声がでない。彼は私の前に立ち黙ったままずぶ濡れの私を見ている…何も話さない。

 彼の手が大きく動き私の顔に向かって伸びた。

      ぶ、ぶたれる

 瞬時にそう思い目をつむった。すぐに、ズッ、という音がし頭の結髪に何かを挿された。

        えっ?…

 そして、自分の被っていた笠を外すとポンと雑に私の頭の上に置き黙ったまま去って行った。

 何が起こったのか全然わからない…わかる事といえば結い上げた髪に感じる違和感だけだ。

 恐る恐る笠を外し頭を触ると何か挿っている。そっと抜いて手に取り見てみると、以前あの山で失くした瑪瑙の髪飾りだった。

 こ、これ、あのとき山で落とした髪飾り…何故林臣(りんしん)様が…はっ⁈

 石を留めていた金具の部分は一度壊れたらしく綺麗に直され(かんざし)となり以前よりも美しく生まれ変わっていた。そして、数か月前、北山に薬草採りに入りイノシシに襲われこの髪飾りを失くした時の出来事を思い出していた。

 確かに、あの時イノシシが前方に見えて、間違いなく絶対絶命だった…けど、急に姿が見えなくなり、私たちは逃げる事ができた…冬韻(とういん)さまの話では、イノシシは人の手により確かに殺されていた…林臣(りんしん)様も同時期に山中で深手を負われた…まさかあの時、林臣(りんしん)様が傍にいた?とか?…

 頭の中がパニックだったが、同時に中宮の庭で蹴鞠をした日の事も思い出していた。

 あの庭で、大王さまの臣下が放った毬を、林臣(りんしん)さまが体当たりで止めその場に倒れた…大王さまと山代王さまは、

 「そんなに毬が取りたいか⁉︎若いからといって負けん気が強すぎるぞ、ハッハッハッ!」

 と笑ったけど、地べたに倒れた林臣(りんしん)様は黙ったまま腕を押さえていた…でもあの時…思い出した…あの毬…私と中宮さまの方に目掛け確かに飛んで来ていた…林臣(りんしん)様が私を助けた?まさかね…きっと偶然…だって蘇我入鹿(そがのいるか)よ。冷酷非道で無慈悲な男がそんな事はしない…

 美しく生まれ変わった瑪瑙の(かんざし)を握りしめ雨の中をヨロヨロと歩き出した。当然だが思考は完全停止し動かない。いよいよ雨が激しく降り始めた。重い足取りでなんとか母屋まで辿り着いた。

 先に到着していた小彩が(かまど)に必死で火を起こそうとしているが濡れている薪を使っているのか苦戦している。何度か声をかけたが火起こしに必死らしく気が付かない。仕方がないので入り口近くに積まれた藁の山の上に座り外の雨の様子を見ていた。
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