千燈花〜ETERNAL LOVE〜
橘宮では、
ドンドンドン、ドンドンドン
「誰かおらぬか?」
バタバタと走る音が聞こえ、へいっという声と共に六鯨が門から飛び出して来た。
「あっ、冬韻様!」
六鯨は驚いた顔を急いで隠すように、すぐさま深く頭を下げた。
「冬韻様が、急にお越しになるとは…実に長い間ご無沙汰しておりました。で、本日はいったい…」
六鯨はうつむいたまま言った。
「燈花様にお会いしたいのだ」
「えっ⁈…その…なんのことでございましょうか…」
六鯨は目を見開きおどおどと震える声で答えた。
「隠さずともよい、燈花様にお会いしたいだけだ。お願いだ通してくれ」
冬韻は、六鯨に近寄り肩に手をかけ優しくなだめるように言った。六鯨は少し迷ったが、冬韻の切実で誠実な眼差しの前に断れないと分かったのかすぐにあきらめた。
「…はい、少しここでお待ちいただいてもよろしいですか?」
「もちろんだ」
六鯨はくるっと振り返ると、とぼとぼと敷地の中へと戻っていった。
トントン、トントン
「燈花様、おいでですか?」
「えぇ、」
戸口に困惑した顔の六鯨が立っている。
「どうしたの⁈顔色が悪いわよ」
「そ、それが…東門に、冬韻様がお越しになられていて…燈花様にお会いしたいとおっしゃられていますが…いかがされますか?」
「そう…」
「も、申し訳ありません、私がうまくはぐらかせば良かったものを…」
六鯨の眉と口はみるみる八の字になり今にも泣き出しそうだ。
「あなたのせいではないわ、遅かれ早かれいずればれることだったのだから、時間の問題だったのよ。むしろあなたにもこんなに心労をかけてしまい申し訳ないわ」
「とんでもないことです、本日は小彩もあいにくおりませんし、どうしたものか…」
「いつまでも逃げてはいられない、冬韻様を中庭へとお通ししてくれる?」
「はい、承知いたしました」
六鯨は軽くうなだれながら門の方へと向かった。
こんなに早く、冬韻様の耳にはいるとは思っていなかったけれど仕方ないわ…
深く深呼吸をしたあと中庭へと向かった。
東屋の横に冬韻が立っている。私が近づくと静かに頭を下げ言った。
「燈花様、長きにわたりご無沙汰しておりました」
十数年たった今も優しく穏やかな表情をもつ冬韻にまずは安堵し、そしてなぜか懐かしさを感じた。彼は今や立派な大人の男へと変貌している。優しい眼差しも穏やかな口調も昔のままだ。
「冬韻様、ご無沙汰しております」
いつになく丁寧な挨拶をし二人で東屋の石に座った。緊張で指先が震えている。何を話せばいいのかわからない…。
沈黙が続いた所に、六鯨が茶器を乗せたおぼんをグラグラとさせながらおぼつかない足取りでやってきた。六鯨が慣れない手つきで茶を注ぐとコポコポと音がなり茶の湯気とともに金木犀の香りが広がった。冬韻は一口、口に含んだあと静かに話し始めた。
「実に甘く良い香りのお茶です。昔、中宮様のお屋敷でよく頂いたのを思い出しました」
「えぇ…」
「燈花様、お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいましたか?」
冬韻が何事もなかったかのように涼しい顔で言ったので驚いた。
「えっ?えぇ…」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で答えた。
「…東国からはいつお戻りに?」
「つい、一か月ほど前でございます…」
「さようでございましたか、私はてっきりもう都には戻らぬものだと…」
冬韻が茶をすすりながら言った。
何も答えられない…黙ったままうつむいた。
「で、此度はいつまで都に滞在されるのですか?」
冬韻は穏やかな口調だが、彼の目は笑っていない。
「それが、まだはっきりとは…」
曖昧な感じで答えた。
「小彩も橘宮に戻っているのですか?」
「えぇ…」
更に小さな声で答えた。次に何を話してくるのかは、おおよそ分かる…。
「…では、山代王様の事は小彩から聞いていますか?」
「はい、聞いております。茅渟王様の事も…」
私が答えると冬韻の表情が一瞬曇った。
「さようですか…では僭越ながら、単刀直入に申し上げます。今の都や朝廷は、田村皇子様のご病気も回復しないことから、大変不安定な状態が続いております。現在、唯一山代王様だけが都や朝廷、全てを掌握し平穏に保つことの出来るお方です。先代の大王さまの悲劇を乗り越えやっとここまで登りつめられたのです。後宮にも紅衣様をはじめ、数名の側室と昨年入宮された白蘭様もいらっしゃりお子達にも恵まれておいでです…その…申し上げづらいのですが、今お心を乱すわけにはゆかぬかと…」
「…山代王様はまだご存知ないのですね?」
「さようでございます」
「それなら良かった…承知しております。冬韻様のおっしゃりたいことは十分承知しておりますので、ご心配には及びません」
「さ、さようでございますか…申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました。しかし朝廷には未だ野心や野望を持つ者も数多くひそんでおり、いつ足をすくわれるかとヒヤヒヤしております。一瞬たりとも油断出来ぬ恐ろしい世界です。山代王様の行く末を考えると、未然に最善の策を取らねばなりません、例えそれが意に添わずとも…」
「山代王様は幸せものですね。あなたのような真の忠臣がお側で支えているのですから」
「そ…そんな、恐縮でございます」
冬韻は少し照れて顔を赤らめた。彼のように優秀で忠実な臣下が側にいれば山代王様も道を誤る事はないはず…。
「安心してください。私も亡き中宮様との約束を果たしましたら、都を離れるつもりです」
「中宮様とのお約束ですか…承知いたしました…」
冬韻は静かに頷くと、残りのお茶を飲み干し立ち上がった。
「では、失礼いたします」
冬韻は深くお辞儀したあと門に向かい歩き出した。そして途中立ち止まると振り返り言った。
「それにしても燈花様は昔と変わらず美しいお姿のままですね」
そう言うと、少し寂し気な表情をして再び背を向けた。
ドンドンドン、ドンドンドン
「誰かおらぬか?」
バタバタと走る音が聞こえ、へいっという声と共に六鯨が門から飛び出して来た。
「あっ、冬韻様!」
六鯨は驚いた顔を急いで隠すように、すぐさま深く頭を下げた。
「冬韻様が、急にお越しになるとは…実に長い間ご無沙汰しておりました。で、本日はいったい…」
六鯨はうつむいたまま言った。
「燈花様にお会いしたいのだ」
「えっ⁈…その…なんのことでございましょうか…」
六鯨は目を見開きおどおどと震える声で答えた。
「隠さずともよい、燈花様にお会いしたいだけだ。お願いだ通してくれ」
冬韻は、六鯨に近寄り肩に手をかけ優しくなだめるように言った。六鯨は少し迷ったが、冬韻の切実で誠実な眼差しの前に断れないと分かったのかすぐにあきらめた。
「…はい、少しここでお待ちいただいてもよろしいですか?」
「もちろんだ」
六鯨はくるっと振り返ると、とぼとぼと敷地の中へと戻っていった。
トントン、トントン
「燈花様、おいでですか?」
「えぇ、」
戸口に困惑した顔の六鯨が立っている。
「どうしたの⁈顔色が悪いわよ」
「そ、それが…東門に、冬韻様がお越しになられていて…燈花様にお会いしたいとおっしゃられていますが…いかがされますか?」
「そう…」
「も、申し訳ありません、私がうまくはぐらかせば良かったものを…」
六鯨の眉と口はみるみる八の字になり今にも泣き出しそうだ。
「あなたのせいではないわ、遅かれ早かれいずればれることだったのだから、時間の問題だったのよ。むしろあなたにもこんなに心労をかけてしまい申し訳ないわ」
「とんでもないことです、本日は小彩もあいにくおりませんし、どうしたものか…」
「いつまでも逃げてはいられない、冬韻様を中庭へとお通ししてくれる?」
「はい、承知いたしました」
六鯨は軽くうなだれながら門の方へと向かった。
こんなに早く、冬韻様の耳にはいるとは思っていなかったけれど仕方ないわ…
深く深呼吸をしたあと中庭へと向かった。
東屋の横に冬韻が立っている。私が近づくと静かに頭を下げ言った。
「燈花様、長きにわたりご無沙汰しておりました」
十数年たった今も優しく穏やかな表情をもつ冬韻にまずは安堵し、そしてなぜか懐かしさを感じた。彼は今や立派な大人の男へと変貌している。優しい眼差しも穏やかな口調も昔のままだ。
「冬韻様、ご無沙汰しております」
いつになく丁寧な挨拶をし二人で東屋の石に座った。緊張で指先が震えている。何を話せばいいのかわからない…。
沈黙が続いた所に、六鯨が茶器を乗せたおぼんをグラグラとさせながらおぼつかない足取りでやってきた。六鯨が慣れない手つきで茶を注ぐとコポコポと音がなり茶の湯気とともに金木犀の香りが広がった。冬韻は一口、口に含んだあと静かに話し始めた。
「実に甘く良い香りのお茶です。昔、中宮様のお屋敷でよく頂いたのを思い出しました」
「えぇ…」
「燈花様、お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいましたか?」
冬韻が何事もなかったかのように涼しい顔で言ったので驚いた。
「えっ?えぇ…」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で答えた。
「…東国からはいつお戻りに?」
「つい、一か月ほど前でございます…」
「さようでございましたか、私はてっきりもう都には戻らぬものだと…」
冬韻が茶をすすりながら言った。
何も答えられない…黙ったままうつむいた。
「で、此度はいつまで都に滞在されるのですか?」
冬韻は穏やかな口調だが、彼の目は笑っていない。
「それが、まだはっきりとは…」
曖昧な感じで答えた。
「小彩も橘宮に戻っているのですか?」
「えぇ…」
更に小さな声で答えた。次に何を話してくるのかは、おおよそ分かる…。
「…では、山代王様の事は小彩から聞いていますか?」
「はい、聞いております。茅渟王様の事も…」
私が答えると冬韻の表情が一瞬曇った。
「さようですか…では僭越ながら、単刀直入に申し上げます。今の都や朝廷は、田村皇子様のご病気も回復しないことから、大変不安定な状態が続いております。現在、唯一山代王様だけが都や朝廷、全てを掌握し平穏に保つことの出来るお方です。先代の大王さまの悲劇を乗り越えやっとここまで登りつめられたのです。後宮にも紅衣様をはじめ、数名の側室と昨年入宮された白蘭様もいらっしゃりお子達にも恵まれておいでです…その…申し上げづらいのですが、今お心を乱すわけにはゆかぬかと…」
「…山代王様はまだご存知ないのですね?」
「さようでございます」
「それなら良かった…承知しております。冬韻様のおっしゃりたいことは十分承知しておりますので、ご心配には及びません」
「さ、さようでございますか…申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました。しかし朝廷には未だ野心や野望を持つ者も数多くひそんでおり、いつ足をすくわれるかとヒヤヒヤしております。一瞬たりとも油断出来ぬ恐ろしい世界です。山代王様の行く末を考えると、未然に最善の策を取らねばなりません、例えそれが意に添わずとも…」
「山代王様は幸せものですね。あなたのような真の忠臣がお側で支えているのですから」
「そ…そんな、恐縮でございます」
冬韻は少し照れて顔を赤らめた。彼のように優秀で忠実な臣下が側にいれば山代王様も道を誤る事はないはず…。
「安心してください。私も亡き中宮様との約束を果たしましたら、都を離れるつもりです」
「中宮様とのお約束ですか…承知いたしました…」
冬韻は静かに頷くと、残りのお茶を飲み干し立ち上がった。
「では、失礼いたします」
冬韻は深くお辞儀したあと門に向かい歩き出した。そして途中立ち止まると振り返り言った。
「それにしても燈花様は昔と変わらず美しいお姿のままですね」
そう言うと、少し寂し気な表情をして再び背を向けた。