もう一度、君に恋する方法

__「予選通過すればいいだろ」

 昨日の先輩のその言葉も空しく、私たちの学校は地区予選敗退に終わった。
 残念な結果に終わってしまったけど、その結果を悔しがる人は誰もいなかった。涙を流しこそすれ、それはどちらかと言うと、先輩たちとの別れの寂しさだったり、先輩たちに関してはやり切ったという達成感のように見えた。
 みんなすがすがしさにあふれた表情で、会場を後にした。

 そしてその翌日、顧問の先生家族が経営する居酒屋で、先生の完全監視下の下、営業時間外である昼間に貸し切りで打ち上げが行われた。もちろんソフトドリンクで乾杯の音頭がとられた。
 打ち上げは先輩たちの送別会も含まれていた。卒業まではまだまだ先だけど、一足先に吹奏楽部を去る。
 お盆休み明けからの練習に、もう先輩たちの姿はない。当たり前のような光景が、一つ消える。そう思うと切なさと寂しさがあふれてきて、胸にぐっとくるものがある。

「それにしても、さやちゃんが泣くって意外だったな。どっちかって言うとクールなイメージだったし」

 私のそばには、部活見学に行ったときに優子に声をかけていた河瀬先輩がいた。
 はじめはパートごとに思い出を語りあったり、先輩たちの進路や受験について聞いたりしていたけど、いつの間にかパートの垣根は崩れ、今は思い思いの場所で会話に花を咲かせていた。

 私は本当に意外そうに話す河瀬先輩を前に、少しだけ顔をすくめた。
 人には見せたくない素顔を、思いがけずのぞかれてしまった居心地の悪さを感じる。
 確かに人前で泣くなんて柄ではない。私だって、自分でちょっと驚いた。だけど私だって、感情が高ぶったり、その場の空気に感情が流されて涙することがあってもいいではないか。
 
 オレンジジュースの入ったコップに、突き上げた唇をそっとつけて飲んでいると、

「そりゃあ早矢香だって泣きますよ。なんたって水野先輩が引退しちゃうんだから」

 その声に、口にふくんだオレンジジュースを吐き出しそうになった。
 声の方をばっと見ると、へらへらっとした顔で優子がいつの間にか隣に座っていた。

「な、何言ってんの?」

 顔中に熱がカッと集まってきて、涼しかったはずの居酒屋の空気が、私の周りだけ一気に気温が上昇したように感じた。

 先輩への気持ちは誰にも言ったことはない。優子にさえも。

 面食らった私を優子は呆れ顔で見つめ、「バレバレだって」と冷ややかに言った。

「え? やっぱり? やっぱりそうなの、さやちゃん?」

 その反対側で、河瀬先輩が私に詰め寄る。
 この二人に挟まれて、なんだか面倒なことになりそうな予感がした。

「そっ、そんなんじゃないですよ」
「うわあ、顔真っ赤。かわいい」
「だから、違いますって。もう、優子……」

 と反対側に座る優子をたしなめようとするも、話を大事にした本人はどこ吹く風といった表情でポテトをパクパク食べている。また反対側から河瀬先輩が「かわいいなあ、さやちゃん」なんてデレっとした声を出しながら、私の頬をツンツンと指で刺す。
 距離が、近い。
 先輩の指を手でどけながら「もうっ、優子も先輩も……」と怒りを爆発させようとした時だった。

「おい、その辺にしとけよ」

 厳しい声の方を振り返ると、そこにいたのは、水野先輩だった。

「おっ、浩介、丁度良かった。今さやちゃんと話してたんだけど……」

 そう言いながら、河瀬先輩が私の肩をつかんで水野先輩の方に押し出そうとした。その手を、水野先輩がガシッと捉えた。

「いい加減にしろって。柏木さん、困ってるだろ」

 水野先輩が、鋭い目つきで河瀬先輩をにらみつけた。こんな先輩は、練習の時でさえ見たことがない。

「手、放せよ」

 先輩のすごみに、河瀬先輩もたじろいだ。

「わかったって。そんな怒るなよ。まったく浩介は、さやちゃんのことになるとマジになっちゃうんだから。ねえさやちゃん聞いてよ、こいつ帰り道もさ……」
「いいから、離れろよ」
「はいはい。ていうかさ、そういうことなら、もう二人、付き合っちゃえば?」

 広瀬先輩が投げやり気味に放った言葉を、私は聞き逃すわけにはいかなかった。
 いつものおふざけとして聞き流してしまえばいいのに。だから思わず、「え?」と尋ねる声も神妙になってしまった。

「お前らいい感じじゃん。帰りだっていつも二人で良い雰囲気作っちゃってさ。二人で帰れよって感じだけど。なあ?」

 と河瀬先輩は周りにいたみんなに強く同意を求めた。みんなの反応が、どこか小さくうなずいているように見えて、その瞬間、胸がトクトクと走り出した。

「さやちゃんの気持ちにさ、浩介だって気づいてるんだろ? いつまで待たせとくつもり?」

 たぶん、当事者が自分でなかったら、私はこの河瀬先輩という人を最低なお節介人だと思っただろう。だけど今は、先輩の言葉の一言一言に、聴覚が冴えわたる。そのたびに、心臓の音が早く、大きくなる。
 この人の一言が、私たちの関係を変えてくれる。
 そんな期待を、してしまった。

「あとはお前がさあ……」
「そんなん、無理に決まってんじゃん」

 水野先輩が、そう言った。
 その言葉に、真正面から頭をガツンと殴られた衝撃が走った。

「え? なんでなんで?」
「俺は付き合えないから」

 先輩は、はっきりとそう言った。激しい声と、厳しい視線を、河瀬先輩にまっすぐ向けて。
 その言葉に、その声に、河瀬先輩だけでなく、私も、その場にいた全員がぽかんと口を開けて聞いていた。
 ざわめきが、遠くの方で聞こえる。ここだけなぜか、ものすごく静かだ。

「とにかく、おまえはここから離れろ。後輩に悪ノリしてからむなんて、部長として見過ごせん」

 無理やり腕をぐいっと引っ張られて立たされようとしている河瀬先輩は、「いや、おまえもう部長じゃないだろ」と激しく抵抗した。だけどその抵抗空しく、河瀬先輩は引きずられながら会場を出された。

「ごめーん、さやちゃーん」という声だけが、空しく残った。

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