もう一度、君に恋する方法

 こんな時私が向かうのは、リビングの横のクローゼットだ。ここは、私の逃げ場所だった。
 イライラした時、泣きたい時、どうしようもない時。ここに閉じこもる。しばらく出ていかない。

 大きな引き戸を力いっぱい手で抑え込んで、その場にうずくまる。少し前までは誰かしら扉をたたいてくれた。
「出てきてよ」「ママごめんね」なんて言いながら。
 だけど最近は、それもなくなった。誰ものぞきに来なくなった。誰も開けようとしなくなった。

「ああ、またいつものことだ」、そう思って。

 そう、いつものことなのだ。
 いつからか、これが日常になっていた。憂鬱な朝の、定番のやりとり。
 私だってこんなやりとり、もうやめたいと思っている。
 こんなの時間の無駄。生産性も何もない。それなのに、飽きずに、懲りずに、私は毎日こうしている。
 口が勝手に、つぶやきだす。

__「私はいない方がいい」
__「私なんかが母親だから」
__「結婚なんてしない方がよかった」

 きっと周りにいる人たちは、聞き飽きただろう。

 扉の前で体育座りでうずくまった。
 クローゼットの外の気まずそうな空気が、扉越しにもわかる。
 リビングは不気味なほど静かだ。ほんの小さな物音すら、耳に緊張感を与える。

__こんな微妙な空気になっているのは、お前のせいだろ?

 見えない敵が、私の耳元にそう囁きかける。
 自覚しているからこそ、余計に落ち込む。

__もうこんな家、ヤダ。

 私はクローゼットの中を見回した。
 開封された段ボールと、未開封の段ボールがごっちゃになって積まれている。引っ越してきたのはもう半年も前だ。

 一軒家に住めば、家も広くなって収納も増えて、入りきらないおもちゃや子ども服なんかも片付くだろう。家の中が片付けば、気持ちにも余裕ができて、のびのびと子育てもできるだろう。
 そう思った。

 完全注文住宅だから、家事動線だってばっちり考えて設計した。たくさん工夫もした。このクローゼットもその一つだった。
 クローゼットと言っても、一部屋分の広さはある。家の物はすべてここに収納できるようにしている。収納をひとつにまとめれば、片付ける時間だって節約できる。いろんな場所を探す手間もない。
 それなのに、そのためのクローゼットだったのに。

 この短期間で、この場所は、私が閉じこもる場所となった。
 雑多に重なるばかりの段ボール空間は狭く、息苦しかった。迫りくる段ボールに、今にも押しつぶされそうだ。
 何も見ないように、もう一度、膝小僧に顔を埋めた。


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