もう一度、君に恋する方法
浩介の就職先は、大学生活を過ごしたこの町から電車で三十分ほどの場所にある建築会社だった。注文住宅から大型施設の建設まで幅広く手掛ける会社だ。
社会人になった浩介は、慌ただしい毎日を過ごしていた。
新しい環境に、バイトとは違う仕事への責任感。そして人間関係。覚えることもたくさんあるようだった。
入社日からゴールデンウィークまでは定時で帰っていた浩介も、ゴールデンウィーク明けからは徐々に帰りが遅くなった。
帰宅の遅い日が続くと、たった三十分の通勤電車も大変そうで、結局浩介は入社して三か月後に、会社の近くの少し広めのマンションに引っ越しをした。
私は三年生になり、研究室が始まって忙しくしていた。二年生までにある程度の単位を取り終えていたからよかったものの、三年生になって、再び一年生並みの単位を要求された。
また吹奏楽部の方も三年生が活動の中心となるため、自ずと役職も回ってきた。
高校生の時と違って、部活の運営はすべて自分たちでやらなければならない。今までは先輩たちのサポート役として多少は携わってきたつもりだったけど、当事者となった今、その重責が一気にのしかかってきた。
浩介と話したいことはたくさんあった。相談したいことも山ほどあった。
研究室のこと、部活の役職のこと。そんな堅苦しい話じゃなくてもいい。何でもない話をしたかった。声を聞きたかった。だけど、毎日していたメッセージのやり取りは、私が送ったきり浩介から返信がないことが多くなった。
休みの日も遅くまで寝ているのか、夜になっても連絡の取れないことが度々あった。
どこかに遊びに行っても、浩介の表情に疲労がうかがえて、申し訳ない気持ちになる。
今までは当たり前だった八月の夏休みも、社会人はお盆とその前後のほんの数日しかないことを知った。
平日に家に行っても浩介は帰ってこなくて、結局掃除をしてご飯を作って帰るだけだった。
浩介の家に行く頻度も、毎日から一週間に一回になり、次第に行く回数が減っていった。電車で三十分かけて浩介の家に行ったところで、浩介に会えずじまいに終わるのが空しいと感じるようになった。それ以上に、浩介のいないしんとした家で、いつ帰るのかもわからないまま待ち続けるのが寂しかった。
浩介が、私の知らない世界に行ってしまったように感じた。
浩介のいない大学。浩介のいない部活。浩介のいない町。
私がここにいる意味って、何だろう。
そんなことを思うことさえ、空しくなってくる。
夏休みが開けてすぐに、来年度に向けての就職説明会が始まった。企業説明会など、本格始動はまだまだ先だけど、就活本番に向けた学内でのオリエンテーションがあり、自己分析や業界研究の仕方、そして気が早いのではないかと思う面接対策、先輩たちからのアドバイスのようなものがレクチャーされた。
準備は早い方が良い。そんなアドバイスに従って、私もその波に乗って就活を始めた。まじめに自己分析や業界研究なんかもした。だけどいまいち、気合は入らなかった。
業界は調べれば調べるほど、「大変そう」という印象ばかりで、興味が全く湧かない。
自己分析でも、自分の短所は容易に見つかるのに、肝心の長所は出てこない。
長所と短所は紙一重なんていうけど、裏を返しても何も出てこない。
私の短所は、短所でしかない。
マイナス思考で、泣き虫で、頭が固くて融通が利かない。焦って空回りばかりしている。
アルバイト経験も、浩介と卒業旅行に行く直前の短期のアルバイトのみで、アピールできることもない。趣味も特技もない。
企業説明会に行っても、いまいちピンとくる仕事も会社もなく、やりたいことも、なれそうなものもなかった。
そんな中で本格的に始まった就職活動は、何一つ上手くいかず、一次試験すら通過しない。大学が開催する面接練習にも参加したけど、そもそも面接まで進まないのでその努力が実ることもなかった。
ようやく面接に漕ぎ出せても、一次面接が通るか通らないかの瀬戸際、そして、これはなぜか二次面接に集中するんだけど、就活生同士のディベートや特殊な自己PR合戦に気圧されて消沈していく。そこで放りだされた私は、一向に内定がもらえず、他の子と同じように就職活動という波の中で顔だけ出してさまよい続けた。
内定がもらえないまま、四年生の夏を迎えてしまった。周りはどんどん内定をもらっていった。一人だけ、取り残されていく焦りが日に日に増していく。
藁をもすがる思いで、私は大学のキャリアサポート課の人に相談をした。私に差し出された藁は、自己分析の見直しというアドバイスだった。何のために大学に来て、何を勉強してきたのか。自分が楽しいと思えることは何なのか、自分にしかできないことは何なのか。もう一度よく見直した方が良いと。
そんな藁をつかまされて、振り出しに戻された。
私は大学の図書室で就活用に作ったノートをパラパラと見返した。
そこに書かれている言葉を、私は冷めた目で見た。
それはいかにも、就職活動用に考え出した、上辺だけのものだった。
自分の気持ちも、ここにいる理由も、すべて都合のいいように塗り替えられているように見えた。
今ここに至るまでの本当の道のりを、私は頭の中でたどった。
高校で浩介に出会った。断固拒否していた吹奏楽部に入部して、大嫌いだった音楽をもう一度好きになった。
そして浩介に恋した。
いろいろあったけど、浩介と付き合うことになって、浩介を追っかける形で大学に進学した。
そして吹奏楽部に入った。
学内の大きな図書館で一緒に試験勉強をした。お互いの家を行き来してご飯を食べた。
この町を、浩介と一緒に歩いた。
私の世界には、いつも浩介がいた。
だけどこのノートのどこにも、浩介はいなかった。
浩介のいない世界に、楽しさも、嬉しさも、目的も、理由も見いだせるはずがなかった。
私はノートをばさりと乱暴に閉じて、その勢いのままに図書室を飛び出した。