もう一度、君に恋する方法
その日以来、浩介と連絡を取らなくなった。
その間に、奇しくもと言っていいのか、採用試験が順調に進んで、一社だけ内定がもらえた。だけど内定の電話をもらった時、全然喜べなかった。こんな状況で喜べるはずもない。入りたい会社でもなかった。だけど電話口で、私は薄っぺらな笑顔と謝辞を述べて電話を切った。
一社決まったところで、私は早々に就活にピリオドを打った。そして夏休みまでの残りの日々を、ぼんやり過ごした。
夏の暑さのせいだろうか。研究室の中間発表の準備や学期末試験にも身が入らなかった。
夏休みに突入すると、いよいよ家から一歩も外に出なくなった。
学生生活最後の夏休みだというのに、何の予定もなく、何かしたいという欲望もなかった。
部活も下の学年に役職を引き継ぐと、もう何もすることがなくなった。定期演奏会や卒業演奏会に向けてひたすら練習するのみだ。
だけど、部活へ行く気力も湧かなかった。
私は久しぶりに実家に帰ることを決めた。一人で下宿先にこもっていてもしょうがない。何もしないのに洗濯物は溜まるし、お腹がすいたら自分でご飯を用意しないといけないし、電気代もかかる。それならいっそ、実家に戻ってしまった方が楽だし効率的だと思った。
久しぶりと言っても、ちゃんと盆暮れ正月には帰っている。それでも、電車から降りて地元の空気を肌に感じると、帰ってきたんだという安心感に毎回包まれる。
ここが私の生まれ育った場所。
駅の拓けたホームからは、わが故郷を見渡すことができる。田舎は建物が少ないから、遠くの方まで見渡せる。いつもはすがすがしい気持ちでここに立つのに、今日は妙に物悲しい。切なさに、胸が震えっぱなしだ。
私の目には、愛おしいものばかりが映る。
駅から少し離れたところに見える学校。あの頃私たちが歩いた通学路もはっきりと見えた。
浩介と出会った場所。一緒に歩いた道。共に過ごした時間。恋をした瞬間。恋人になった日。
目に見えないものもすべてここから見渡せた。
懐かしさより、恋しさや切なさが私の胸を突きあげた。
「思い出」なんてありきたりな言葉では表しきれないぐらいの、愛おしくて切なくて、苦しくて甘い時間。
浩介と、水野先輩と、過ごした時間。
決して絶景ではないその景色を、私はしばらくぼんやり見ていた。
改札口を出ると、ロータリーにはバスやタクシーが行き交っていた。大して都会でもないのに、この駅周辺だけが妙に発達していた。
学校からこの駅までは徒歩十分ほどで、電車やバスで通学している人がこの駅から学校にやってくることは知っていた。吹奏楽部の中にももちろんそういう生徒はいて、帰り道が私たちと逆方向の彼らとは学校で別れた。
駅から家までは歩いて二十分ほどだ。夕方とはいえ、猛暑日のこの時間帯に歩いて帰るのは危険だろうか。
熱中症になるには十分な熱気が蔓延している。親に迎えに来てもらおうか。帰ると伝えていないから、急に迎えに来いと言われても困るだろうか。
考えあぐねているところに、「さやちゃん?」と声をかけられた。地元と言えば地元なので知り合いがいてもおかしくないのだけど、その懐かしい姿に思わず目を見張った。
「河瀬先輩」
「いやあ、久しぶりだね。なんか大人っぽくなって」
私を上から下まで珍しいものを見るかのように見てくる河瀬先輩は、タンクトップに短パンとサンダルといった、まるで自分の家の庭に立つような出で立ちで立っていた。
耳にはいくつもピアスがプラプラとぶら下がって、逆立った髪は金髪だった。
「お久しぶりです。先輩もお変わりないようで」
と、少々顔を引きつらせながら挨拶すると、「まあね」と河瀬先輩はあの頃と変わらない笑顔で答えた。
河瀬先輩は一浪して大学に合格したものの、単位が足りず一年留年しており、今就職難民だということを、聞いてもいないのに話してくれた。
「結局さやちゃんたちと同学年になっちゃったね」
「でも、先輩は、先輩ですから」
慰めの言葉が見つからず、そう答えておいた。
「さやちゃんも浩介の手伝いに行くところ?」
とても自然な流れで河瀬先輩は言った。だから私はぽかんとなって「え?」と声にならない声を発した。
「浩介の実家の整理の手伝い」
「実家の、整理……ですか?」
「あれ? もしかして何も聞いてない? 浩介から」
私がどう反応していいのかわからないまま呆然としていると、河瀬先輩は「やっべっ」と口を押えて、明らかにまずそうな顔をした。
「これ言っちゃっていいのかなあ……」なんて一人考えあぐねながら、先輩は気まずそうに話し始めた。