もう一度、君に恋する方法
__「俺はもう、早矢香に恋をしていないのかもしれない」
あの時浩介は、そう言った。
「あの頃みたいな気持ちが、湧いてこないんだよ。何をするにもドキドキして。少しでもそばにいたくて、話したくて、笑顔が見たくて、何でもいいから早矢香のことが知りたくて。そう思うたびに必死になって。早矢香がそばにいてくれれば、何もいらないと思ってた。できることなら、離れたくないって。だけど今は、そんな気持ちが湧いてこない。あの頃のドキドキや必死さや強い気持ちが恋って言うのなら、俺はもう、早矢香に恋をしていないことになる」
呆然とする私に、浩介はちらりと視線だけを向けて「ショックだった?」と寂しげな微笑みをよこした。
だけど、浮かべた微笑みがふっと消えると、浩介の声は肩と一緒にガクンと落ちた。
「自分でも、よくわからないんだ。早矢香のことは確かに好きなはずなのに、あの頃みたいな感覚や手ごたえはない。どうしてかわからない。俺の気持ちは、絶対に変わらないと思っていたのに。そんな自信しかなかったのに」
浩介の切なげで寂しそうな瞳は、遠くの、もっとずっと遠くの方を見つめていた。
何を見ているのか、私にはわかった。
「あの頃」だ。
あの頃の、私たちだ。
浩介はその瞳を隠すように伏せた。そして次に視線を上げた時には、もうそこにはすでに寂しさも切なさもなかった。
無理やり作った笑顔の中には、諦めがにじみ出ていた。
「ずっと恋してるのって、難しいのかもね。早矢香の言う通り、あの頃みたいに、ずっと相手のことだけ考えてればいいわけじゃないし、社会的な責任もあって、立場もあって、時間も余裕もなくて。いろんなものがあの頃とは違って。そう考えたら、恋ができなくなるって、当たり前のことなんじゃないかな。仕方ないことなのかも。自然なことで、誰にでもあることなんだよ。誰が悪いとか、何が原因とか、そんなのはない。あの頃とは何もかもが違うんだから。気持ちだって、あの頃のままってわけにはいかない。そういうもんなんだよ」
浩介の言葉を、ただ茫然と聞いていた。
その通りだと思った。言い返す言葉もなかった。
仕方ない。当たり前。
目まぐるしく変化する環境や関係の中で、私たちは生きている。
その中で生きる人の気持ちんなて、いくらでも変わってしまう。
そこで恋をし続けるなんて、無理なんだ。
同じ人にもう一度恋をするなんて、何度も恋に落ちるなんて。
わかってる。
だけど、いくら穏やかに言われても、諭されても、私は納得できなかった。
その通りだと思いながらも、その言葉に抗う自分がいる。
「じゃあ、私たちはこのままでいいの?」
胸につっかえていたものが、ぽつりと飛び出してきた。
こんなの、平和でも安泰でもない。
このままでいいわけがない。
このままじゃ嫌だ。
そんな私が、浩介の正論に抗いたがる。
「このまま、お互いに気持ちがないまま、ただ一緒にいるだけなの? 形だけの夫婦や家族なの? それをこのまま続けていくの?」
だけど私の必死の叫びに、目の前にいる相棒は、まるで最期の時を迎える準備のように弱々しい笑みで返した。
「それで、いいんじゃないかな。少なくとも、颯太や俊介には、家族で過ごす時間って大切だと思うし必要だし。俺たちの気持ちがどうかなんて、二人には関係ないことだろ? それで二人が振り回されるのは、俺も本意ではないよ。だから、俺たちには親として二人にできることをやるだけじゃないのかな。そのために協力しあうことは無駄ではないと思うし、それは、俺と早矢香にしかできないことだし。親として……」
「じゃあ二人が大きくなったら、私たちの関係も終わっていくの?」
思わず大きな声が出た。
私の声に、浩介はピクリとも反応を示さなかった。その無反応にも腹が立った。言い返したい言葉はいくらでもあった。
「それって……」
浩介の両親と、同じじゃん。繰り返しじゃん。
だけど、口をつぐんでしまった。
そんなこと、浩介の前で言えなかったし、浩介を思うと、突きつけられなかった。
結局、私たちも同じなのだろうか。浩介の両親と。
どんなに熱い恋をしても、どんなに理想を掲げても、どんなに夢を見ても、それに向かって歩いても、待ち受けているのは、こんな結末だけなのだろうか。
悔しかった。情けなかった。
私たちはそうならない。同じことで、彼を決して傷つけない。
あの時そう、密かに決意したはずなのに。
浩介はまた、同じことで傷つけられる。
今度は、私の手で。