もう一度、君に恋する方法

「なんでないの?」

 わざわざもう一度レジに並んで買ったレジ袋からお惣菜を取り出し、それらをレンジの中に次々と放り込みながら、クレジットカードの捜索に奔走した。正直、今はご飯どころではない。だけど少しキッチンから離れると、すぐにレンジが私を呼び立てる。
 リビングでは夕方の教育番組が楽し気な音楽を奏でていた。

「失くしたはずないんだけど……。最後に使ったの、いつだっけ」

 そんな私の言葉に答えてくれる人は誰もいない。颯太も俊介も、今はテレビにくぎ付けだ。私の苦労も心配も焦りも、素知らぬ顔をしている。

 スマホを手にして乱暴に画面をたたいた。もう何度も同じ番号にかけているけど、一向に出ない。今は仕事中か、いや、今日はノー残業デーだからもうすぐ帰ってくる頃。ということは電車だろうか。
 もうすぐ帰ってくる頃とわかりつつも、その帰りすら待っているのがもどかしくて、電話をあきらめてメッセージをスマホに叩き込んだ。

(クレジットカードがないんだけど)

 絵文字もスタンプもない。素っ気なくて、ぶっきらぼうな文面だった。だけどそれで十分だ。十分、私の怒りも焦りも伝わるはず。
 
 スマホを握り締めたまま返信を待った。ほんの少しの時間さえものすごく長く感じた。既読がつかないことにすら苛立ちを感じた。諦めて、温めた夕飯を並べ始めた。

「もうご飯だからこっち来て」

 テレビに目を止めたままゆらゆらと歩き出す二人にイライラする。颯太の手に握りしめられたリモコンを取り上げてぷつりと消すと、二人ははっとしたように我に返って、急いで手を洗いに行った。

 リモコンをソファに投げて、私は再びクレジットカードの捜索に戻った。
 引き出しの中、鞄の中、おもちゃ箱の中。最後に使った最新の記憶をたどりながら、どこもかしこも探した。だけど、ない。
 スマホの画面を明るくすると、返信もない。既読もつかない。

 最後に車の中にもないことを確認して家に入ると、スマホが震えた。勢いよく見てみたけど、返信ではなく、優子がSNSを更新したというメッセージだった。私はおもむろにその表示を押した。そこには今日のパーティーの様子があった。颯太と俊介の写真の目元には、星のスタンプが押されていて、顔がわからないようになっていた。
 ハッシュタグには、「サンドイッチパーティー」「親友と」「恋バナ」。そして……


__「もう一度、恋する方法」


「もう一度、恋する……か」

 鼻からふんと息が漏れた。そして少し考えてから、自分でも検索バーにその文字を打ち込んだ。すぐに、優子と見たサイトが出てきた。それをタップして、ゆっくりスクロールしながら項目を確認していく。すると優子とも話した、『相手の好きなところを挙げてみる』という項目が出てきた。その項目について、私は思いを巡らせた。

 確かにあの人は優子の旦那さんほど顔がいいわけではない。背もそんなに高くない。経済力があるわけでもない。だけど、家事にも子育てにも協力的なのは事実だ。何でも言うことを聞いてくれるし、私の意見には反対しないし、なんだかんだ収入は安定してるし、私がやることには口出ししないし……
 そこまで考えて、「ん?」と思わず声とともに首を傾げた。

__それって、「好き」、なの? それってただ、私にとって都合の良い人ってだけじゃない?

 そう思って、なんとなく胸が暗くなるのを感じた。だけどすぐに気持ちを切り替えた。

 私は何やってんだ? 
 ほんとバカバカしい。
 こんな方法、実践するなんて。
 何必死になってるんだろう、こんなことに。
 もう一度好きになるとか。恋とか。
 今我が家が直面している深刻な問題は、そんな甘ったるいものじゃない。
 クレジットカードだ。生活費だ。我が家の全財産が、リアルに脅かされている。

 リビングに戻ってくると、テレビがついていた。ソファには颯太がふんぞり返ってリモコンを握り締めている。
 ダイニングテーブルでは、口の中をいっぱいにしたままの俊介がテレビ番組をぼんやり見ている。
 ダイニングテーブルの上には、具だけ食べつくされて、汁に染まったご飯だけが残されていた。俊介の周りも、コロッケの破片やご飯粒が落ちている。その惨状に、目を覆う代わりに声を張り上げた。

「颯太っ」

 颯太の肩がびくっとなって、驚いた眼差しがこちらに向けられた。まるで、どうして自分が怒鳴られているのかわからないとでもいう顔で。

「まだご飯の途中でしょ。テレビ消しなさい」
「もう食べ終わったよ」
「まだ残ってるじゃん。手つけたんだから、最後まで食べなさい。具だけ食べないで」
「もうお腹いっぱいなんだもん」
「夕飯ちゃんと食べない子は、次からおやつなしだからね」

 このやりとりも、毎日同じ時間に、同じように繰り返される。いつもなら不貞腐れながらも、「はーい」と気だるげな返事をして言うことを聞く。
 だけど今日は、いつもとは少し違った。

「えー、ひどい。なんでそうやってママがいつも勝手に決めるんだよ」

 思いがけない反発に身がひるんだ。
 たじろいだ私は、ただただ理不尽な言葉を、情けないほどかすれた声で逃げるように吐き捨てた。

「もうっ、うるさいっ。ごちゃごちゃ言ってないで、言うこと聞きなさい」
「あーもうなんだよ。ほんとママうざい」

 その言葉に、かっと頭に血が上った。

「どこでそんな言葉覚えてきたの」
「みんな使ってるよ」
「意味わかって使ってんの?」
「わかってるよ。ママはうるさくて意地悪ってことでしょ?」

 その言葉に、胸が締め付けられる思いがした。意味も分からず言っている方がまだいい。だけど颯太は、自分なりに意味を理解して、それが今の私に対して当てはまる言葉だと判断したことが、悲しくて、辛かった。
 無意識に、呼吸が荒くなった。

 どうしてだろう。
 優しい子に育てたつもりなのに。そう願ったのに。
 ずっとそばにいて、ずっと大切に育ててきたのに。
 どうしてこんな子になっちゃったの? 
 私が育てたから? 
 私が母親だから? 
 イライラして、怒ってばっかで、父親と言い合いして、泣いて、閉じこもって……。
 だから、こんな風になっちゃったの?
 どうしたらいい?
 誰か教えてよ。
 
 だけど、誰も教えてくれない。
 ここには私の味方なんて、いない。

 ふつふつとし感情が、ぽつぽつと声になった。

「だったらもう、出てって」

__これ以上、言っちゃいけない。

 心の中で警鐘が鳴る。だけどもう、止められない。私を止めてくれる人は、いない。颯太を守ってあげられる人は、今いない。

「もうここにいなくていい。もうそんな子はうちの子じゃない。何でも言うこと聞いてくれる優しくてきれいなお母さん探して、その人に育ててもらえばいいでしょ。颯太にはもうママは必要ない。ママのことが嫌いなら、ママはもう颯太のママやめる」

 喉元が裂けるほどの勢いで声が出た。颯太の厳しい目が、私をにらむ。その目に、体が震える。

 颯太は何も言わなかった。だけど口元をフルフルとさせて、目を真っ赤にして、その目には涙がたまり始めていた。それをこぼさないように、必死にこらえているのがわかった。

 もう十分だ。この姿を見ればわかる。
 言いすぎだ。本気でもないのに。

 それなのに、私はとどめを刺した。

「リュックに荷物詰めて玄関置いておくから、早く出ていきなさいよ」

 そう言って踵を返してクローゼットに向かった。
 すると、先ほどまで静かにしていた俊介が急に立ち上がって「わあっ」と言いながら私に突進してきた。それを受け止めた瞬間、俊介の大きな声が足元から聞こえた。

「ママ、やめて。颯ちゃんがかわいそう」

 その声に、また胸が締め付けられる。

__なんで? かわいそう? 私が、悪いの? いじめる颯太から俊介を守ってあげてるのは、いつも私なのに。

 足にまとわりつく俊介の体をがばっと離そうとした。だけど俊介はいつまでも、ものすごい力で私に絡みついていた。
「ダメー」と言いながら。それを無理やりはがすと、俊介はしりもちをついて倒れた。
 一瞬「あっ」と思ったけど、私はそのままクローゼットの中に逃げ込んで、思い切り扉を閉めた。そして誰にも開けさせまいと、渾身の力で扉を抑えつけた。
 外では俊介の泣き声が聞こえた。クローゼットの扉を何とか開けようと、引き戸を何度も引こうとしていた。
 どんどんと扉をたたきながら、「ママー、ママー」と叫ぶ声が、いつまでも耳に響いた。

「ああ、もうっ、うるさいっ。あっち行って、一人にさせて」

 扉を背中で押さえつけながら、耳をふさいだ。
 目の前に聳え立つ段ボールが見えないように目をぐっと閉じた。
 膝小僧の中に頭を埋めて、体を小さくした。
 私に迫りくる、すべての物から逃げるように。


 もうどうしていいのかわからない。
 こんなこと、したくない。
 ぎゅっと抱きしめてあげたいのに。
「大丈夫だよ」って言ってあげたいのに。
 私も楽しく一緒にご飯を食べたいのに。
 私の手料理を食べさせたいのに。

 どうしてできないの? 
 何がいけないの?

__誰か、助けて。


< 9 / 60 >

この作品をシェア

pagetop